沼田城(群馬県)

沼田城(群馬県)

沼田城の感想

戦国時代に越後の上杉、相模の後北条、そして甲斐の武田が争った要衝の地であり、軍事上の重要拠点として『関東平野への入口』とされていたため、多くのドラマが生まれた城です。

築城は鎌倉時代からこの地で有力な国人であった沼田氏であった、第12代当主 沼田万鬼斎顕泰が築いたとされており、当時は沼田の倉内の地に城を築いたことから『倉内城』とも呼ばれていた様です。

沼田城が激戦の舞台に躍り出るのは関東平野に進出を目指す甲斐の武田氏の侵攻で、当時、関東平野の担当をしてきた真田氏を中心とする部隊であり、特に真田氏は真田幸綱→長男信綱の時代に侵攻を始め、特に真田昌幸の時代には沼田領を支配下に置き、真田昌幸の長男、信之(信幸)、真田幸綱の弟の矢沢頼綱や出浦昌相(まさすけ)などが沼田城に入り、後北条との激しい沼田城争奪戦を繰り広げ真田氏側は一歩も引かず窮地に陥りながらも沼田城と沼田の地を守り抜きます。

沼田の支配を求める後北条の北条氏政・氏直は豊臣秀吉に訴え、秀吉の裁断により沼田領の2/3の地と沼田城は後北条氏の支配下に、真田氏は沼田領の1/3の地と名胡桃城を支配下に置くことを決定します。

沼田城と名胡桃城は本当に目と鼻の先ほどしか離れておらず(後で写真があります!感動です!)、秀吉の裁断から4か月後の11月に北条に属する沼田城の城主・猪俣邦憲(いのまた くにのり)が、名胡桃城を攻撃してこれを奪取するという事件を起こしてしまいます。これが秀吉が全国に発していた『惣無事令(そうぶじれい)違反』となり秀吉を激怒させ、小田原征伐に繋がり北条氏を滅亡させてしまいます。

小田原征伐後、豊臣秀吉は真田氏に信濃二郡と利根・吾妻の旧領を安堵したため、真田昌幸は沼田領と沼田城を長男の真田信之に与え、昌幸自身は信濃国上田の上田城に移ることになります。

沼田城は真田氏にとって激戦の末に手に入れた重要な城と領地となりました。

沼田城は四方を山に囲まれた沼田盆地に築かれた城で、利根川・薄根川・片品川が三方に流れており特に片品川方面は河岸段丘(すごい崖)となっています。

沼田城画像ギャラリー

今は、沼田城址公園として整備されています

公園自体は沼田城の本丸付近だけが残されているんだろうと思われ、城攻めして直ぐに本丸のお堀を確認することが出来ます!

まず最初に本丸が出迎えてくれます♪

天守跡・大手門沓石跡です♪

城内は公園としてきれいに整備されていました。沼田城の醍醐味が消えている感じがして少し寂しいかなぁ~いろいろ復元してほしい・・・

お!!!!俺が尊敬する真田信之と小松姫の銅像を発見!!!
真田信之は真田幸綱の孫、真田昌幸の長男!真田幸村が有名だが幸村の兄貴でもある武将です。関ケ原の際には父と弟の昌幸・幸村が西軍に付くのに対し信之は東軍につき真田家を存続させます。
信之が徳川側についたのは妻の小松姫(稲姫)の存在も大きかったと思います。小松姫は才色兼備の女性だったらしく徳川家康の四天王の一人とうたわれた本多忠勝の娘であり、有名な話は関ケ原の戦いが始まるころ、夫の信之は家康の率いる東軍に付き、父・昌幸と弟・幸村は西軍につき、袂を分かった昌幸・幸村親子が上田城に戻る途中に沼田城に立ち寄り城に入ろうとしたところ、留守を預かる小松姫が昌幸と幸村の計略を見抜いて城門を閉じ沼田城には一歩も立ち寄らさず追い返した逸話が残っています。

信之と小松姫の足元には1円で作った六文銭が・・・俺も皆さんと同じようにお供えしてみました。

沼田城内を進んでいくと『西櫓台石垣・石段』があります。当時の石垣の名残を感じられます。

・・・・???て・・・・天狗・・・・?(*_*)

がんばれ俺!!!!!!気を取り直しズンズン進みます♪

今回、一番感動したのは捨曲輪と二の丸が(現在)引っ付いちゃったここ!!!

ここで沼田城から名胡桃城へのビューポイントを発見!

ここです!!!ここが沼田城から見た名胡桃城だと思われます!

実に感動しました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
沼田城と名胡桃城は本当に目と鼻の先ほどしか離れていません。長年の憎しみと敵対心を持つ真田と後北条、北条方の沼田城主、猪俣邦憲がすぐそこの名胡桃城を襲うのははめられた感がありますね!この采配をした豊臣秀吉の腹黒さと真田昌幸の強かさを感じます!

再び西側の西櫓台の石垣に!ここはよく沼田城の紹介の際に撮影されている石垣となります。

城内には『平八石』という首をさらした石があります。

沼田城を築城した沼田万鬼斎顕泰の側室の子である沼田平八郎景義が沼田一族の内乱(川場合戦)で敗北し蘆名氏の元へ逃亡。その後、沼田城を取り戻そうとしますが、逆に真田昌幸に討ち取られてしまい、ここで沼田氏は滅亡してしまいます。その時の景義の首をさらした場所がこの平八石だと言われています。

鐘楼があります。モノ(レプリカですが)は明治の時に沼田町役場の裏にあり時を告げていましたが、昭和58年に沼田城址公園に移されました。なぜかといえば、第2代目沼田城主の真田信吉が城鐘を使い時を告げていたと云われているみたいですね。

沼田城には『沼田市観光案内所』があります。城の模型やモロモロ魅力的なアイテムがたくさんありました!因みに俺は現地に発見したまだ読んだことのない真田氏にまつわる本をゲット!!!こんな発見が現地にはありますねぇ~(〃艸〃)ムフッ

沼田城情報

築 城1532年
城 主沼田氏、真田氏、本多氏、黒田氏、土岐氏
住 所群馬県沼田市西倉内町594
種 別平山城
廃 城1682年
特 徴 市指定史跡
続日本100名城※続日本100名城スタンプは沼田市観光案内所にて押せます。
入場料無料
営業時間【沼田市観光案内所】営業時間:9:00~17:00(12月~2月は9:00~16:00)
休館日:年末年始
駐車場有り(無料)

沼田城へのアクセス

沼田城レビュー

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