小倉城(埼玉県)

小倉城の感想

国指定史跡である『比企城館跡郡(菅谷館跡 松山城跡 杉山城跡 小倉城跡)』のひとつである『小倉城』を城攻めしてきました!(⌒∇⌒)

小倉城は関東では珍しい大規模な石垣を有する山城で、しかもその石垣は全国でも稀な『石積み遺構』の石垣になっています。その規模は郭3をコの字型にかこむ最大高約5m総延長120mあまりの大規模な『石積み』が発見されています。また、現在は埋め戻されている様ですが、郭1の東虎口から南虎口を結ぶ土塁内側には三段の雛壇状に構築した石積みが確認されているようですね!(@_@)凄い! その他に、郭1の東腰郭に高さ3.5mの石積みがあったりしています!!!なかなかの規模です~♪

大規模な小倉城ですがあまり記録が残っていない様で、とある記録によれば小倉城は戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏の重臣遠山氏(遠山光影)が城主だったとされています。確かにここまでの大規模な山城への改築は後北条氏たちが行ったのかもしれません。
別には松山城跡を居城にこの辺を支配していた、武蔵七党の西党のひとり上田氏によって築かれた城が小倉城とも云われています。確かに、上田氏は扇谷上杉氏の家臣であり、関東管領上杉氏たちからしても河越城を抑える後北条氏の北上防衛のために防衛ライン強化を目的に壮大な山城を築いたとも考えられ、私はどっちかと云えばそっちを期待して小倉城に行ってみました!(^▽^)/
因みに・・・武蔵国松山城主である上田氏は、私が最近気になってる『武蔵七党』の『西党(西野党)』の武将のひとりで、鎌倉時代の大江広元(毛利元就の祖先)の孫、大江佐房(おおえすけふさ)を祖とする一族で、大江佐房が武功をあげ信濃国上田荘を与えられ上田氏を名乗ったのが始まりとされています。上田氏の流れは権現山城の城主で権現山城の戦い後、後北条氏側に付く(逃れる)こととなった上田氏(上田政盛)もいるそうです。

小倉城画像ギャラリー

小倉城は蛇行する槻川(つきかわ)を天然の堀とし山地の自然地形を巧みに取り込んだ天然の山城ですね♪ 城攻め口は駐車場も整備され『大福寺』の脇から攻めるパターンと、クルマで林道に入り山中の郭4付近から攻めるパターンがあります。私は後者です(o^―^o)ニコ

大福寺の脇からパターン

山中から郭4を目指すパターン! 俺はこっちです!

いざ!!!!小倉城に攻め込みます!!!!!( `ー´)ノ

お!!!!!!!!!!!分岐だ!!!!ここから小倉城へカットインかな!?

時より崩れた石積みの跡が見られますね。。。山道は整理されてて城攻め易いです!

郭4に到着です!ヾ(≧▽≦)ノ

郭4から大堀切に続いていきます♪

大堀切を越えて郭2の脇を進んでいきます♪ 郭2では発掘なのが災害復旧なのか・・・

郭2から虎口っぽいところを進んで郭1へ突入します♪

郭1に到着です~(。◕ˇдˇ​◕。)/

おおおおお!堀切だぁぁぁ!!!!!!!!これっまたなかなかいいですなぁ~(*´▽`*)

郭3へ行ってみます!( `ー´)ノ

郭1(本丸)虎口付近の石積み調査後!?

再び!!!本格的に!!!!郭1(本丸)を攻め込み堪能してきますわ♪(`・ω・´)ゞ

小倉城!!!!本丸!!!!獲ったぞぉぉぉぉぉ~ヾ(≧▽≦)ノ

ビューポイントから風景を楽しんでみます~(*`艸´)ウシシシ

枡形虎口方面に攻め込んでみます!(`・ω・´)ゞ 北郭群や枡形虎口あたりは災害の跡がひどく復旧作業中でした♪

最後に最大の見せ所!!!郭3周りの『コの字』の石積みを堪能してきましたよ~♪(*´▽`*)

堀切の中から見上げてみます!

郭3の石積み(石垣)です!!!小倉城の石積みの特徴は『緑泥石片岩』と云われる石で積まれた石積みとなっています。しかもこんなに大規模なのかここだけだと思います(〃艸〃)ムフッ

災害で崩れてて『コの字』をすべて堪能はできませんでしたが、想像以上に凄い山城だと感じました!( `ー´)ノ この山城をきっかけに、この後、後北条氏の防衛ライン山城を探しに放浪してきました!!!その続きは・・・この後続きます!(`・ω・´)ゞ

小倉城情報

築 城不明
城 主不明
住 所埼玉県比企郡ときがわ町田黒608
種 別山城
廃 城不明
特 徴国指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

小倉城へのアクセス

小倉城レビュー

小倉城についての皆さんの評価をお願いします。
小倉城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。

お城カテゴリの最新記事