大友義統本陣跡(大分県)

大友義統本陣跡(大分県)

1600年に関ケ原の合戦が始まると、『西の関ケ原の戦い』と云われる戦いが発生します。『石垣原の戦い(いしがきばるのたたかい)』です!

豊臣秀吉に改易されていた大友義統は、西軍の総大将毛利輝元の支援を受けて西軍に味方をすることに決め、広島城から西軍の将として出陣して豊後国に侵攻していっきに勢力を拡大した。関ケ原の戦いで混乱していた九州を暴れまくっていた黒田官兵衛は、西軍方の大友義統を討つためにこの『石垣原』で激突することとなります。
石垣原の戦いの緒戦は大友義統が優勢であったと云われています。終盤で黒田如水と細川忠興(松井康之???)らの連合軍に敗れてしまいました。大友義統は降伏し剃髪したのち妹婿であった黒田家の重臣の母里友信の陣へ出頭し、その後は徳川家康に引き渡され幽閉される身となった。大友義統は出羽国の秋田実季に預けられたが、
秋田実季が常陸国宍戸へ転封されると大友義統もまた一緒に宍戸への流罪に処されたちゃいました。

『石垣原の戦い』における『大友義統本陣』は激突した戦場が見下ろせそうな山の斜面に本陣を構えていた様です(場所は悪くないなって感じがしました)
太平山( 扇山 )を背にした閑静な住宅街に入っていくと(道はかなり細いです)『大友本陣之跡』の案内が出てきます。。。住宅地の中なのでお気をつけて本陣を攻めてみて下さい!!!((´∀`*))ヶラヶラ

【大友義統本陣跡】

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