猪俣小平六はたぶんですが、平盛俊(いのまたのりつな)ではないかと思われます(o^―^o)ニコ
猪俣範綱は平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した、武蔵七党のひとつ猪俣党の党首だったと云われており、『保元の乱』では源義朝(源頼朝のお父さん)に従い活躍し、『平治の乱』では源義平(源頼朝の兄ちゃんかな?)に従い軍功をあげ『十七騎の勇将』と称されていた様です。なかなかの武勇の坂東武者だった様ですね!(^▽^)/
源頼朝・源義経兄弟にも仕え源平の合戦で全国を転戦し、『一ノ谷の戦い』では平盛俊(たいらのもりとし)を騙し討ちにしたとされています。因みにここにはちょっとしたエピソードがあり、猪俣範綱と平盛俊の両名は腕力に自信があったため腕力自慢の取っ組み合いを行います。 そうすると平盛俊の腕力に負けた平盛俊が地面に落ち、猪俣範綱が平盛俊に組み敷かれてしいます。。。首を斬られかかった猪俣範綱は、『命を助けてくれるなら、貴方の一族を自分の恩賞と引き換えに助けよう』と命乞いを始めたそうです。(なんじゃそりゃ~?苦笑) それに平盛俊は怒り『盛俊は不肖なりとも平家の一門、源氏を頼ろうとは思わない』と猪俣範綱の首に刃を立てようとしたところ、猪俣範綱に『降伏した者の首を掻くのか???(なんじゃそりゃ~?失笑)』と言われて、押さえ込んでいた範綱を放してやり二人があぜ道に腰を下ろしていると、人見四郎という源氏方の武者が駆け寄って来ます!?!? それに気をとられた平盛俊は突如猪俣範綱に不意に胸を突かれて深い田んぼの中に倒されてそのまま殺されてしまいます。平盛俊はこのような騙し討ちによって猪俣範綱に首を取られてしまった。。。
確かに・・・勝てばいいんでしょうけど・・・・なんじゃそりゃ!?”(-“”-)”
【猪俣小平六館】


