阿用城は行ってみたかった城のひとつです。
尼子経久の本を読んでいると、京極氏の守護大名を支える家臣として、桜井宗的という武将が出てきます。この武将は秩序を重んじる知見者であり弓矢の名手だとも記載されていました。
尼子経久が出雲国を席巻し周りの状況もどんどん変わる中、古き良き武家社会を想う桜井宗的は京極氏への想いと尼子経久への憎悪を膨らましていきます。一時は尼子経久に従い転戦していきますが、阿用城主だった桜井宗的は次第に出雲国守護大名である京極氏への思いからその命令に従わず、伯耆国の羽衣石城の南条宗勝らと謀略を通じて尼子経久に反旗を翻します( `ー´)ノ
尼子経久は嫡子の尼子政久を大将として阿用城を攻めさせ鎮圧に向かわせます。
尼子政久は非常に優秀な武将だったらしく、尼子経久も自慢の長男だった様ですね。文武を両立しており統率力もあったのでしょう。しかし、阿用城を攻めますがなかなか堅固で落城しなかったため、阿用城を二重三重に囲み長期戦を展開することになります。すると、笛の名手だった尼子政久は夜な夜な笛を吹いて夜を過ごしていた様です。これを知った桜井宗的は夜陰に紛れて城を抜け出し、向城を築き櫓の上で笛を吹いていた様なのですが、その笛の音を頼り桜井宗的が竹藪の中から矢を放つと、矢は尼子政久の喉を貫いたと云われ尼子政久は討たれてしまい大混乱を生んでしまいます。
やっぱり、自らの自慢の息子!尼子家を継ぐ有望な息子!を失った尼子経久の怒りは相当だったと思います!(;゚Д゚)
尼子政久の弟、尼子経久の次男であり猛将の新宮党を率いる尼子国久を大将に尼子興久・亀井安綱・宇山飛騨守・牛尾遠江守・横道・森脇・川副ら名だたる尼子家臣団を付けて阿用城を攻めたて桜井宗的を討ち取り阿用城を落城させます(; ・`д・´)
桜井宗的(桜井家)と阿用城はその後滅ぼされてしまいました・・・
【阿用城 / 阿与城 / 磨石城】
場所がよくわからず、下には阿用神社があったので蓮花寺方面の峠を上って行く途中にそれらしき場所を発見しました(/ω\)



看板は阿用城ではなく『とぎし(磨石)城』とありました(`・ω・´)ゞ
この峠のカーブ部分から阿用城への侵入をしてみましょう♪







溜池がありますね。 昔からだろうか?峠道を上がってきたってことは阿用城の山城の中腹に水を確保していたことになりますね~


さてさて進んでいきましょう♪ なだらかな山路が続きますね!






土壌は赤土になるのでしょうか? 正直、空堀や土塁などこれっといったやつが出てきませんね!?(+_+)















若干・・・土塁があるのかな? おりょ?あれは・・・本丸かな???





少し拍子抜けしました・・・私のイメージの桜井宗的は古い考えの武士でしかも知恵もある!あの優秀な尼子経久の長男政久を弓矢で討った武将ってイメージだったのですが、阿用城自体には空堀や土塁、曲輪や切岸などの工夫が全く感じられませんでした・・・(´;ω;`)ウゥゥ もっと下から上がってくればあったのかな?
期待が大きかっただけに少々がっかりとした阿用城でした( ノД`)シクシク…

