大久保山城 / 大窪山城(京都府)

大久保山城 / 大窪山城(京都府)

大久保山城/大窪山城は小倉氏が築いた城の様ですが明確にはわかっていません。
小倉氏は丹後国守護大名一色氏の傘下にいた国人衆らしく、細川氏と明智氏が丹後国に攻め込み『降参する者は除名する』との投げかけに降参した者の中に『小倉播磨守』が含まれていたとされています。
『宮津府志』ではその小倉播磨守の傘下だった野村将監という武将がおり、その野村将監が大久保山城/大窪山城の城主だったとも云われているみたいです。
大久保山城/大窪山城は、比高30mたらずの低い丘陵に南を主郭に北にのびた山城だった様で、山腹山下は水脈に恵まれ南東の八幡山城(行きたかったんだよなぁ~( ノД`)シクシク…今回は行けてません!)と並んで海城として重要な役割をもっていたものと思われます。

大久保山城は天神社裏山から智源寺裏山にかけての尾根筋にあったと思われますが、幕末には島崎砲台築造の土取り場ができ・・・近年では本丸跡と思われるところに市の水道施設ができてしまい・・・大久保山城/大窪山城は大きく城の全容が変わってしまったとみたいですね(´;ω;`)ウッ…

【大久保山城 / 大窪山城】

曲輪と土塁、空堀???的なものが少し確認できますが・・・それにしても荒れてる(´;ω;`)ウッ…

細川ガラシャが住んでいたとかの話があったので、いろいろウロウロしてみましたが・・・何も無くてただ『云われている』だけなんだと思います((+_+))


 

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