須賀川城(福島県)

須賀川城(福島県)

須賀川城は福島県須賀川市にある平山城で近くを釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れています。
須賀川城の築城は二階堂行続が行ったと云われており、長くからこの地を支配する二階堂氏がこの須賀川城を居城としたみたいです( ̄▽ ̄)
1572年には那須 資胤(なす すけたね)の軍勢が攻めてきたが、何とか須賀川城は凌ぎ!!!
1581年に城主の二階堂盛義(須賀川二階堂氏7代当主)が亡くなると、後室の大乗院が城主となり須田盛秀が城代として須賀川城を守りますが、この頃から伊達氏と対立が深まり伊達政宗が須賀川城を狙うと、佐竹義重が支援し伊達側の城を攻撃したり、1857年には会津衆と二階堂氏が共同で伊達氏を攻撃したみたいですね!
那須資晴の書状によると、1589年頃は佐竹氏と二階堂氏の連携が着々と進んでいましたが、二階堂氏の内部では伊達氏に付く連中も増え、伊達派の二階堂氏家臣 保土原 行藤(ほどはら ゆきふじ)は伊達政宗に内応し、1589年に伊達政宗が西方から接近して山王山城に陣すると、これを先導して須田氏・佐竹氏らの兵約600人の守る須賀川城は攻め落とされてしまいました!

その後、1590年に、豊臣秀吉の奥州仕置によって伊達氏から取り上げられてしまい、この一帯は蒲生氏郷に与えられ、須賀川城には配下の田丸直昌が入城し、1598年には上杉景勝が入国し、1601年には蒲生秀行が会津藩となるり家臣の蒲生郷成が須賀川城の入城したとされています。
1627年には加藤嘉明(かとうよしあきら)ら会津国に入国すると、須賀川城は間もなく廃城となった様です!(`・ω・´)ゞ

【須賀川城】

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