牛久保城 / 牛窪城(愛知県)

牛久保城 / 牛窪城(愛知県)

牛久保城は1529年に牧野保成(まきのやすしげ)が築城したと云われ、牧野氏の居城として続いていました。1590年に大久保城の城主だった牧野康成の時に徳川家康の『関東移封』に伴って、家臣だった牧野氏も関東へ移動します。牧野康成は上野国勢多郡大胡(現在の群馬県前橋市)に2万石に入国しました。

徳川氏が抜けた後は、豊臣秀吉の家臣だった池田輝政が吉田城に入城すると、大久保城は吉田城の支城として池田家の重臣の荒尾成久が牛久保城の城主となり入城しました。

関ケ原の戦い(1600年)後、一時期、牛久保城は天領となり、城郭の一部が代官所になるなどして機能していましたが、1700年に廃城となった様です。

牛久保城は豊川の河岸段丘を利用して築かれていた様で二重の水堀を有した平城だった様ですが、現在はバリバリに都市開発が進んでおり、JR飯田線牛久保駅や住宅地が密集し牛久保城の構造は全く分からなくなっており、線路沿いに一部案内板があり確認できるほどです(´;ω;`)ウッ…
過去の発掘調査では堀などの構造物は確認できていたとか!?!?!?


【牛久保城/牛窪城】

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