三好長慶公の墓(大阪府)

三好長慶公の墓(大阪府)

三好長慶はご存じの通り、織田信長よりも早く天下人を目指し天下人となった武将で、三好長慶は阿波国で生まれhttps://jh.irukamo.com/miyoshinagayoshikoutanjouchi/スタートになってのは阿波国の芝生城https://jh.irukamo.com/shiboujo/だと云われています。
阿波国の吉野川沿いから阿波国の中心地に進出した三好氏は、勝瑞館https://jh.irukamo.com/shouzuiyakata/を築き館に隣接し勝瑞城https://jh.irukamo.com/shouzuijo/を築きました。当時では珍しい平城だった様ですね。その後、勝瑞城は細川氏9代・三好氏3代で約230年間本拠点とした城です。
細川氏の流れから三好元長https://jh.irukamo.com/miyoshimotonagakonohaka/の頃に積極的に畿内方面に進軍していきます。三好元長が無念の自害を果たすと跡を継いだのが三好長慶です!( `ー´)ノ 
先ずは、三好長慶は父である三好元長を自刃に追い込み勢力を拡大していた本願寺率いる一向一揆の勢力が細川晴元自身でも抑えられなくなっていたため、三好長慶は細川晴元と本願寺10代宗主:証如(しょうにょ)を引き合わせ和睦を成立させます!(`・ω・´)ゞ さらに和睦に従わなかった本願寺の勢力を摂津国の御園で討ち破り、さらに一向一揆の拠点だった越水城を奪い取ってしまいます!機内では三好長慶の噂でいっぱいだったでしょうね!?
三好長慶は細川晴元と一向一揆の連中と一緒になったり戦ったりを繰り返しながら徐々に三好氏の勢力を機内に拡大していきます。主君である細川晴元との力関係が逆転し始めると、三好長慶は細川家の家臣である遊佐長教から、父親の三好元長の死に同族の三好政長が深くかかわっていたことを知らされ、細川晴元に掛け合い三好政長の打倒を進言しますが、細川晴元はむしろ三好長慶の排除を画策します! 1549年に細川晴元・三好政長連合軍と三好長慶軍が激突(江口の戦い)します!!!<(`^´)>!!! 援軍との合流を目論む三好政長が守りに適さない江口城に入ったという情報を得た三好長慶は江口城を総攻撃します!三好政長をはじめと約800もの首級をあげ大勝利をおさめます!!! その勢いで細川晴元を追撃しようとしますが、危険を察知した細川晴元は将軍足利義晴とその子(後の足利義輝)と共に京から逃亡してしまったため、これにより三好長慶は父の仇討ちと畿内の制圧を達成させ日本で初の天下統一を果たしたんだと思います(●^o^●)

そんな三好長慶のお墓は、京都市の大徳寺聚光院、大阪府堺市南宗寺、八尾市の真観寺にの3ヶ所にあると云われており、八尾市にある真観寺の墓はその葬儀の頃に建てられたものと云われており、他の2つは三好家の縁者によって建てられたようですね! 今回は大阪府堺市にある南宗寺に行ってきました!!!(`・ω・´)ゞ 南宗寺は大きな寺で敷地内にいろんな堂が建てられています。奥に進んでいった南宗寺 手水舎に三好長慶公のお墓がある様なのですが、中に入ることができませんでした・・・(´;ω;`)ウゥゥ  驚いたのが、三好長慶公のお墓の隣に徳川家康公のお墓もあったみたいです!?!? どんな繋がりがあったんでしょうか????

【三好長慶公の墓】

三好長慶公の像がありました!

三好長慶公のお墓の近くに徳川家康公のお墓があることにこれで気付きました!発見です♪

お城カテゴリの最新記事