茨木城(大阪府)

茨木城(大阪府)

1444年~1449年頃に記載されている『文安年中御番帳』に奉行者のひとりとして茨木氏の名前が確認できることから、この頃から摂津国で台頭してきた一族だと思われ、築城された年は不明であありますが、その茨木氏がこの茨木城を築城したと云われています。
細川高国と細川晴元が対立すると当時の城主だった茨木長隆は細川晴元側に付き、細川高国を打ち破り死に追いやっています。その後、茨木重朝の時代になると侵攻してきた織田信長に従軍し茨木城と所領を安堵されますが、織田軍の和田惟政と茨木重朝軍は荒木村重と中川清秀軍と衝突し和田惟政と茨木重朝は徹底的に打ち負かされた様で、これをきっかけに茨木城は攻め落とされ茨木氏は滅んだと云われています。
その後、中川清秀が茨木城に入城し城の改築を始め大規模化したと思われます。1578年に荒木村重が織田信長に反旗を掲げると、古くからの縁があったため荒木村重に付きますが、その後、不利を悟り織田信長に降伏し茨木城を開城します。1582年に本能寺の変が起き織田信長が討死すると、明智光秀ではなく豊臣秀吉側に付き活躍しますが賤ヶ岳の戦いで戦死してしまったため、息子の中川秀政は播磨65000国の三木城へ移され、摂津国の茨木城は豊臣秀吉の管理管轄となります。関ケ原の戦いが終わった1601年には片桐且元・貞隆兄弟に与えられますが、その後、一国一城令に伴い茨木城は約200年の歴史に幕を下ろし廃城となります。

【茨木城】

現在、茨木城の痕跡は殆ど残っていませんが、茨木小学校の裏門に『櫓門』を移し復元しているだけです。城郭の雰囲気は多少の町割と隣接する茨木神社・天石門別神社(茨木神社奥宮)から感じることが出来ます!

茨木神社・天石門別神社(茨木神社奥宮)です! この神社に茨木城の搦手門がありました!

本丸を頑張って探したのですが・・・『本丸ハイツ』しか見つかりませんでした(´;ω;`)ウゥゥ

城の西側の北から南側方面にかけて(城の東側の北から南側にかけては安威川が流れています)『川端通り』と云われる道がはしっています。この道はたぶん茨木城の大堀だったんじゃないのかと思われます。Googleマップでも確認してみて下さい~(^▽^)/

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