宮寺氏館跡(埼玉県)

宮寺氏館跡(埼玉県)

宮寺氏館跡の感想

宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏かな?)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構えて宮寺氏を称したとされるみたいですね。1333年の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に仕えた加納下野守なる人物がこの宮寺氏館に拠ったと伝わっています。
武蔵七党と呼ばれた小規模武士集団は鎌倉幕府開設以前から源氏棟梁との関係が深く、源頼朝の父親、源義朝が関東への自らの勢力拡大を目指していた頃、武蔵七党の小規模武力集団は源義朝と直接的な主従関係を結んで源義朝の戦力として存在し、具体的には成田太郎・別府二郎・中条新五(以上横山党)、金子家忠・山口十郎・仙波七郎(以上村山党)、小平六範綱・岡部六弥太(以上猪俣党)平山季重(西党)などいわば源氏直属の有力な家人として存在していたのは驚きですね!!!そもそも源義朝(源頼朝の父)は河内武士って思っていたのですが関東までちょいちょい来ていたんですね!(`・ω・´)ゞ

現在は西勝院(さいしょういん)の境内地となっており、外堀はが四方にあり内郭の堀跡・土塁の一部がある様です。土塁の外側に沿って狭山丘陵からの沢水を利用した水堀が館を囲っていたみたいです。

宮寺氏館跡画像ギャラリー

宮寺氏館跡情報

築 城不明(平安時代〜鎌倉時代初期)
城 主宮寺氏、加納氏、狩尾氏、伊濃氏
住 所埼玉県入間市宮寺494−1
種 別平城
廃 城不明(江戸時代)
特 徴市指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

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