三戸城の感想
三戸(さんのへ)城です。通称は留ヶ崎城とも言いますが、ここでは三戸城で行きます!
三戸城はもともと家臣が放火して焼け落ちた城に、南部23代目当主 南部晴政があらためて三戸城を築かせ、勢力拡大と共に大規模な城と家臣たちの収集に利用した城だと言われています。
当時の南部は二戸・七戸・八戸・九戸などに別れておりその南部一族の統一と、陸奥の雄である安東氏との争いや、大浦・九戸の南部からの独立阻止など、三戸城を居城とした南部(三戸)晴政は四苦八苦していたんだと思います。一度、後継者として受け入れたが嫡子が出来たため追い出してしまった南部信直との確執も激しさを増し、いまいち決め手に欠けて城に籠っていたことが多かったのでしょうか?苦笑
晴政、そして早々に続き晴継(嫡子)が亡くなると、南部信直が南部家を継ぐために三戸城に入城します。晴政が抱えていた問題をそのまま信直も引き継ぎ陸奥の地で四苦八苦(特に大浦氏(のちの津軽氏)と九戸氏)する争いが続くが、豊臣政権に接触し南部信直も戦国大名として認められたことから、盛岡に移るまでの間は三戸城が南部氏の本拠地となったようです。
城内は想像以上に大規模で西方でよく見られるような、城内に家臣の屋敷を構えさせるなど、家臣団たちの城下集中を行っていました。
三戸城はとても整備されている城で本丸までクルマで行くことができ大きな駐車場も完備されています。
三戸城画像ギャラリー
本丸のすぐ近くには大規模な『大門跡』が残されており土塁がしっかりと築かれています。
今回は本丸から城下へ下っていくパターンです
大手門手前には『糠部神社』があります。杉に囲まれ静寂ですなぁぁぁぁ
奥には模擬の天主閣と資料館があります。
資料館はとても見応えがあるみたいなのですが、城攻め時間がめちゃくちゃ早かったので見学することが出来ませんでした。。。また。。。いつか。。。来たいなぁ~(´;ω;`)ウッ…
三戸城の全体図です。
熊原川を天然の堀して逆側には田園を堀としたなかなかの大規模な平山城ですね。
模造とはいえ雰囲気はいいかも!((´∀`))
欅御門跡です。
北側に面する門は枡形にされていて敵の侵入を妨げ、南北に繋がる土塁が築かれていた様です。
確かに家臣の屋敷跡がありますね・・・(^▽^)
北信愛屋敷跡です。
目時筑前屋敷跡です。
桜庭安房屋敷跡です。
鳩御門跡です。うねうねしていますね~♪
鳩御門動画
【動画】鳩御門でくねくねしてみる
武者溜跡です!
草ぼーぼーじゃー(´;ω;`)ウゥゥ
三戸城の見どころ!!!!!綱門発見!!!!!!!!!!
門構えも石垣もいい感じですね~
綱門を過ぎてからも崩れた石垣がゴロゴロしています。
【動画】たまらん!この石垣とこの迫力!!!
降っていくと物見櫓跡を発見!
ここから再び本丸跡を目指しますが途中も石垣の跡がたくさん残ってて嬉しいばかりです(o^―^o)ニコ
わかり辛いのですが石垣の上には段差になった土塁(曲輪だったのかな?)が築かれていますね。
本丸跡まで戻ってきましたが、反対側には『御姫様御殿跡』や『三層櫓跡』などがありたくさん見るところがありますねぇ~♪
満足しました(〃艸〃)ムフッ
三戸城情報
築 城 | 1539年 |
城 主 | 南部氏 |
住 所 | 青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 国指定史跡 |
入場料 | 無料 資料館:一般220円、大学生・高校生110円、小中学生60円 |
営業時間 | 資料館:9:00~16:00 資料館休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合、その翌日) 12月1日~翌年3月末日まで |
駐車場 | 有:無料 |
三戸城へのアクセス
三戸城レビュー
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