須々万沼城 / 沼城(山口県)

須々万沼城 / 沼城(山口県)

須々万沼城の感想

須々万沼城 (すすまぬまじょう)は、毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢(大内方)に勝利し、防長二か国を本格的に侵攻した際(防長経略)に、鞍掛山城(くらかけやまじょう)の戦い(鞍掛合戦)に続く激戦となった場所がこの須々万沼城 (すすまぬまじょう)です!( `ー´)ノ

須々万沼城 は三方を沼地に囲まれた城で、見た目よりもかなり攻めずらい城だった様です。大内氏の家臣・山崎興盛親子、江良賢宣らが籠城して守りを固めていたところに、毛利元就の嫡男、毛利隆元を総大将とする毛利軍が攻め込んできますが、周りの沼地が堅固な壁となり、沼地に足を取られる毛利軍は攻めあぐみ一度撤退をしています。リベンジを図る毛利軍は毛利元就自らが総大将となり須々万沼城に攻めよせて行きます。毛利元就は前回の戦いの対策として筵で沼を埋め立て、火縄銃で城内に射撃をして、ジワリジワリと足元を固めて包囲を縮めていき城兵の戦意を喪失させます。1557年!ついに毛利軍は須々万沼城に突入し、須々万沼城内に籠った一般人の老若男女1500人(若しかしたら3000人かも・・・)を斬殺させ、城将の山崎興盛・隆次親子はさせます。城主の江良賢宣は城を出て降伏したため須々万沼城は落城しました。

須々万沼城画像ギャラリー

現在は埋め立てられ見渡す限り田んぼと住宅地になっていますね!

案内板です

現在は『保福寺』の裏手に城跡らしい案内があるだけで、正直、跡形も残っていないような気がします。。。(´;ω;`)ウッ…  山城とは違い残すのは難しいですよね~泣
少しだけ・・・気持ちだけ・・・土塁っていうか土盛っていうかが残っているような気がします・・・

須々万沼城情報

築 城不明
城 主山崎氏
住 所山口県周南市須々万奥470
種 別平城
廃 城1557年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

須々万沼城へのアクセス

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