高瀬城(島根県)

高瀬城の感想

俺の城攻め1日をぶち壊してくれた城です!高瀬城です!!!!
本当に壮絶で高瀬城攻めをした後は足がガクガクになり午後の戦いに苦戦をしいられました!(´;ω;`)ウゥゥ  本当にすごい規模の山城でした!!!!

高瀬城は米原氏が築いたと云われています。
米原氏は佐々木六角氏の流れを組み、六角氏14代当主六角定頼の甥である六角治綱が養子となり近江国米原荘を領したことから米原氏を名乗り始めたと云われています。
宍道湖(しんじこ)の南側に高瀬城は位置しており出雲平野を見渡せる出雲平野(穀物地帯)を抑える重要な城だったことがわかります。山頂の大高瀬や一段下がった小高瀬、山麓付近の鉄砲立などの三段からなっています。大高瀬と小高瀬の間の鞍部には駄置場と呼ばれる郭群が築かれ、両段間の接続に加え七曲り道を通じて鉄砲立へも接続する。

米原綱寛(よねはらつなひろ)の時は尼子氏の傘下でこの高瀬城は尼子十旗のひとつとされた堅固な山城で、当時の主君だった尼子晴久にも寵愛され側近として務めており、吉田郡山城攻めの遠征にも従軍していました。
ところが、尼子晴久が急死すると尼子義久が跡を継ぎます。今度は逆に毛利氏が尼子氏討伐のために侵攻を始めます。1562年に高瀬城主だった米原綱寛は出雲侵攻を開始した毛利氏へと降り、1565年の月山富田城攻め(月山富田城の戦い)では、小早川隆景軍に属しており尼子家の三英傑と云われる立原久綱との交渉役として活躍をしている。
1569年に尼子新宮党の流れを組む尼子勝久が山中鹿之助と共に尼子の再興を目指し挙兵すると、毛利元就は再興軍討伐のために米原綱寛を出雲へ帰国させますが、大友宗麟から『尼子勝久を援助せよ!』と密書を受け取っていたため、米原綱寛は居城である高瀬城へ戻ると毛利氏に反旗を掲げ高瀬城にそのまま籠城し尼子再興軍に参加してしまいます。
しかし、毛利氏は猛将吉川元春(毛利元就の次男)が高瀬城を攻撃!!!高瀬城は落城し米原綱寛逃亡!?!?その後、米原綱寛は剃髪して可春斎と号して隠居したと云われています。(。-_-。)

後でレポートしますが・・・高瀬城はなかなかの大規模な山城で出雲国でも屈指の堅固な城だと感じました。 これを攻め落とす吉川元春軍の凄まじさんは本当に驚きを隠せません!!!すげぇ~ことですよ\(◎o◎)/!

『尼子十旗』と云われる重要な城のひとつです!

高瀬城画像ギャラリー

高瀬城は山陰道の斐川インターチェンジを降り田園風景がきれいな道を進んでいくと高瀬城の案内板に着くことが出来ます!

高瀬城案内板

高瀬城の入口です! 全体的に整備されており地元の方が大切にしていることがわかりますね~(⌒∇⌒)

高瀬城は登山道として整備されているんですね~♪

大手道を進んでいきましょう!!!!  いざ!!!! 高瀬城!!!!!

少し藪・・・・(+_+)  抜けると山道らしくなりますね~

果てしなく!果てしくなく!!!高瀬城をひたすら登っていきます!

お!!!開けてくるかぁ~?

三の丸(鉄砲立)

藪に覆われていますが三の丸に到着!
周囲には岩が加工されており、門や櫓などの建物があったのかな?
『鉄砲立』って何だろう???鉄砲を作っていたのかな?それとも鉄砲を生産していたところなんだろうか???

進みます!( `ー´)ノ

七曲り

七曲りに突入します♪

お!?!?!?またまた開けてきた! 山深い山道を進んでいたので嬉しい!

二の丸(駄置場)

お!!!ちょっとした曲輪だなぁ~!!!ここでは高瀬城の構造を説明板がありました! 面白い(^^)/ありがたい情報ですね~♪

もうこの時点で足がガクガク・・・・頂上(本丸)まであと400m・・・行けるのか???(´;ω;`)ウゥゥ そんな葛藤しながら!でも!本丸を目指します!(´;ω;`)ウッ…

残り!300m!!!(+_+)

土塁と曲輪! 埋もれた岩跡が出てきましたね~

大小の連続した曲輪の跡や土塁の跡が感じられますね~

曲輪(郭)

開けた大きな曲輪に出てきました!

残り200m!!!!(`・ω・´)ゞ

山頂付近の尾根を進んでいきますと風景が変わりますね!山城の醍醐味が出てきました♪ これだから山城はかっこよくて素晴らしい!(^^♪

なかなか曲輪の数も多いですね!
本丸までの門でも当時は設置していたのでしょうか?

いよいよ!!!!残り100m!(/ω\)

いよいよかぁ~!?!????\(◎o◎)/!

甲の丸(主郭)

着いたかも!!!!(。◕ˇдˇ​◕。)/

高瀬城!!!甲の丸! つまり本丸って事でしょうね!ヾ(≧▽≦)ノ
めちゃくちゃ辛かった・・・けど尼子十旗の高瀬城制覇です!

北面に石積みを伴った井戸跡のような大きな穴が曲輪内にありました!凄い構造だなぁ~初めて見ました♪

凄い山城でした! 攻めたのは2025年の8月! 猛暑の中、熊におびえながら壮絶な山城攻めだったと感じます。けど、戦国時代、こんな大規模な山城を攻め落としていく戦国武将たちは本当に凄い武将ばかりだと登りながら感じました!( `ー´)ノ

高瀬城情報

築 城不明(歴応年間1338年〜1342年)
城 主建部氏、米原氏、吉川氏
住 所島根県出雲市斐川町神庭
種 別山城
廃 城不明(1571年ごろ?)
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

高瀬城へのアクセス

高瀬城レビュー

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