竹中半兵衛陣所跡(兵庫県)

竹中半兵衛陣所跡(兵庫県)

竹中半兵衛陣所跡の感想

三木合戦の竹中半兵衛の陣所跡と言われている場所へ行ってきました。竹中半兵衛はこの三木合戦の最中に病気のため亡くなり、この陣所跡の近くに竹中半兵衛のお墓が残っています。

この陣所跡は秀吉本陣跡の北側に位置する平井山という場所にあります。一応案内はありますが、見落としやすいので訪問される際は注意してください。
竹中半兵衛(竹中重治)は1544年に美濃(岐阜県)で生まれます。家系としては斎藤道三に使える家臣の立場でした。半兵衛自身は斎藤龍興(さいとうたつおき)の時代に家督を継いでいます。その後、斎藤龍興から稲葉山城(岐阜城)を奪い取り籠城、斎藤龍興をお城から追い出します。その後お城は斎藤龍興に返したようですが、織田信長に攻められて結局斎藤龍興は稲葉山城(岐阜城)から追い出され結果は変わらなかったようです。その後、竹中半兵衛は織田信長(羽柴秀吉)に仕えることになります。
羽柴秀吉の中国攻めで信長(秀吉)を離反した別所長治との戦いである三木合戦の最中に36歳で病気のため竹中半兵衛は亡くなってしまいます。
その竹中半兵衛の居城は菩提山城で岐阜県垂井町にあります。なかなかの山城ですので興味のある方は訪問してみみてください。

竹中半兵衛陣所跡の画像ギャラリー

なんか入るのを躊躇う雰囲気ですが、ここから陣所跡に向かいます。

新池という溜池の横を通り、溜池の灌漑工事で亡くなった方の供養塔とのことで手を合わせて陣所跡に向かいます。江戸時代に造られたようなので半兵衛とは関係ないですね。

なかなか雰囲気のいい水辺ですが、先に進みます!

こんなところに案内がありました。道路に出たので間違ってしまったかと思いました!とりあえず順路としては大丈夫そうですね。

なんか左側に説明板らしきものがありそうです。

ここを登っていくみたいですね。

整備はされていて歩きやすいですが、遺構らしきものは今のところ見当たらないです。

到着したみたいです。案内板がありました!

主郭

主曲輪の奥は断崖になっていて攻められない感じですね。突然の断崖なので人の手が入っていそうにも感じますがどうなのでしょうか?

竹中半兵衛陣所跡情報

築 城1578年ごろ
城 主竹中氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別平城
廃 城1579年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

竹中半兵衛陣所跡へのアクセス

竹中半兵衛陣所跡レビュー

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