滝田城の感想
最初は寄るつもりもなかったのですが、一緒に城攻めしていた相棒が行きたいというのでシブシブ寄ってみましたが・・・・・・・・最高でした!(〃艸〃)ムフッ マジ!最高でした!!!!(*`艸´)ウシシシ
滝田城は安房・房総を支配した里見の城で、里見義実が築いたともいわれていますが里見5代目の里見義豊が築いたのか整備したのかで滝田城を築いたものと思われます。里見氏の本拠地は稲村城なので里見義豊は稲村城に、滝田城は義弟の一色九郎に引き継いだと思われます。
里見義豊は自らが成人するまで預けていた当主の座を父親の兄弟である里見実堯(義堯の父)がなかなか譲らないことを焦り攻め落とします。父親の仇を討つため里見義堯(この方が有名かな)正木兄弟(時茂・時忠と共に里見義豊を攻めます。勿論、滝田城を預かる一色九郎は、里見義豊の妹婿として里見義豊を支える最有力人物だったと想像できますね!それゆえ里見義豊と共に里見義堯軍と戦い、義豊派最後の拠点として徹底抗戦の場になったようです。滝田城が同年9月末に落城するが、その際、一色九郎はじめその一族は滅亡したと言われています。
その後、滝田城はすぐに廃城になったと言われていますが、一方で血に染まった里見発祥の稲村城を嫌った里見義堯が滝田城を一時期入城し本拠地にしていたという説もあります。
実際に滝田城を城攻めしましたが、山城の規模は半端なく凄い!城攻めしながら、あの長野県上田にある難攻不落の『砥石城』と同じぐらいの堅固な山城だと感じました。また、この滝田城がある地は現在の県道88号線と県道258号線の交差点の西に聳える山に築かれており戦国時代も交通の要所であったことが容易に想像できます。
北側に主郭を備え北側と北東に伸びる尾根に二の郭を構えています。この尾根沿いに馬場や曲輪を備えがある。南東・南西に伸びる尾根を堀切で断ち切っており南東尾根には土橋が架かっていた様です。
尾根沿いは厳しい空堀・切り立った崖(人工的な)であり、本当に難攻不落な山城がこの千葉の地にあった発見に感動していました!(〃艸〃)ムフッ
滝田城画像ギャラリー
最初に到着したのは滝田城の西側?北側?になる場所でした。
なんか入口が怖かったので違う突入口を探しに行きました!
新たに見つけましたよ!(〃艸〃)ムフッ滝田城への突入口!
駐車場もあるし案内もあります。。。ただ、相変わらず『開けたら閉めてね!』的な柵のドアがありこれが千葉流なのかぁ~笑
入口から厳しい急こう配がスタートしました!
けど、ここまでの間はクルマで結構いいところまで来ていたと思いますので、そもそもの滝田城の規模は大きかったものだと思われます。
写真だけ見ると長細い山道を永遠と歩いているように思われますが、これが尾根を利用した防御システムの場所です。。。両サイドには切り立った崖があり、下からここまで攻めあがってくるのはほぼほぼ不可能だと思われます!
堀切!土橋跡?を発見!!!!
最終的には滝田城の本丸らしきところを抜けてい行くと展望台があります。
電波塔が目立ちますが、ここは物見櫓だったと思われますね。
途中、尾根を進むと展望台があり、「里見八犬伝」発祥の地として『伏姫の像』がありました。
ここも見どころの1つですなぁ~((´∀`*))ヶラヶラ
滝田城も岡本城同様に3年前(現在は2022年)の台風の影響で多くの案内が無くなったりなぎ倒されたりしてて、少し荒れているように感じましたが、地元の人たちのおかげでここまで復帰していることに感謝しかありませんね!
滝田城!最高のお城でした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
滝田城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 一色九郎 |
住 所 | 千葉県南房総市上滝田 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 1500年代末ごろ? |
特 徴 | 市指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | あり |
滝田城へのアクセス
滝田城レビュー
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