上桜城(徳島県)

上桜城の感想

吉野川沿いの四国山脈の北側に位置し、標高142mの山に築かれた山城が『上桜城』です。
吉野川沿いに築かれた川島城からは約1㎞の場所に位置しており、上桜城が落城してから川島城が築かれたことからも、この辺一帯が当時の国政において重要な場所だったことがわかりますね!
また、上桜城の城主は篠原長房で、篠原長房は三好長慶の弟三好実休の家臣で、三好長慶・実休と共に畿内を転戦し成果を上げていた勇将であったともされ、実休が討死すると実休の息子である三好長治を支え阿波国の支配に尽力しており、阿波国においては『絶対的な執権』と云われるほどの武将だったとされております。

この上桜城が有名になるのは『上桜城の戦い』ですね!?
個人的にはこの『上桜城の戦い』をきっかけに三好家は内紛にはまっていき、多くの国衆から見限られ(一宮城の一宮氏も離反)長宗我部元親が阿波国に侵攻するきっかけとなったことは間違いありませんね!!!『上桜城の戦い』のきっかけは非常にくだらい事です。(が・・・この時代にはよくある出来事です)小少将(こしょうしょう)っという美女を巡り三好長治や周りの重臣たちも夢中になり不義を繰り返し権力の奪い合いが始まります。そんな三好家に飽き飽きした篠原長房は居城であった上桜城に籠ってしまいます・・・三好長慶や実休と畿内を転戦してたほどの武将でしょうから、この時はかなりの高齢だったと思われ本当にうんざりして隠居的に籠ったんだと思います。
しかし、この事が逆に裏切り、反撃にでると思われたのか、三好長治は篠原長房討伐の兵をあげることとなる。
1573年、三好長治・十河存保・細川真之らが篠原長房討伐の兵を挙げ上桜城を攻めた。(上桜城の戦い)その結果、上桜城に籠った篠原軍は皆殺しにされ滅ぼされたと云われています。
当時、三好長治は20歳・十河存保は19歳と云われており、本当に先を見通せない愚行だとだと思います。。。何はともあれ・・・これで三好家は大きく傾くこととなりましたね・・・失笑

上桜城画像ギャラリー

上桜城は『チェリーロード』を登ると道が左右に別れており右側の道に進むと『上桜城』の入口がります!

入口から山道をズンズン進むとすぐに本丸に到着します~♪

広い場所に出ました!!!本丸かな???(o^―^o)

本丸です。上桜城は構造は非常にシンプル(古いスタンダートタイプ)で2つの曲輪でてきている城ですが、ここ古城とここから西南方面に築かれている新城と二つの城で構成されているようですね。

上桜城情報

築 城不明
城 主篠原氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別山城
廃 城1573年
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

上桜城へのアクセス

上桜城レビュー

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