浦戸城の感想
長宗我部元親を想うと切っても切り離せない重要なお城です!
浦戸(うらど)城です!!!( `ー´)ノ♪♪♪
浦戸城の築城ははっきりしていませんが、本山城を居城としていた「土佐七雄」の一つである本山氏が勢力を伸ばし、朝倉城と共にこの浦戸湾のある地に本山茂宗(清茂)によって築かれたと云われています。浦戸城の本山氏は復興した長宗我部国親・元親親子の攻撃を受け浦戸一帯(土佐国)の覇権を争うようになり、1560年の長浜の戦いで長宗我部国親が茂宗を破り、浦戸城は長宗我部氏が支配することとなり長宗我部親貞(吉良親貞)が城監として入城させたようです。
その後、1591年頃に長宗我部元親は大高坂山城(現在の高知城)へ岡豊城から移るため築城を始めますが、築城はなかなか困難を極めたため長宗我部元親が浦戸城に入城し本格的な拠点とし浦戸城の甲改築を始めます。それ以後の10年間は長宗我部氏の本城となったようです。
関ケ原の戦いで土佐国を与えられた山内一豊が入国しようとし、土佐国に使者を派遣して当時の本拠地であった浦戸城を接収させようとした。だが、これに反発した長宗我部氏の家臣は開城を拒んで一揆を起こし(浦戸一揆)ました。浦戸城の一揆軍を城外に締め出し、動揺した一揆軍を浦戸城外で破ることとなり浦戸城を中心とする浦戸一揆は鎮圧されました。。。因みに・・・大阪城にいた徳川家康の元に送られた一揆方の首級は173首と伝えられいるようです。。。( ノД`)シクシク…
その後、山内一豊は浦戸城に入城しますが、後に長宗我部元親が築城を試みていた大高坂山城を改めて城を築き高知城として築城!!!山内一豊が高知城を居城とするため移ると浦戸城は廃城となったと云われています。。。
浦戸城は現在『坂本龍馬記念館』 『国民宿舎「桂浜荘」』が建っており、その場所は浦戸城の詰ノ段にあたる様です。長宗我部元親の居城だった岡豊城は、詰ノ段が城郭の中心だった山城でありましたが、浦戸城の場合は詰ノ段の東北隅に天守跡が築かれていたと云われています。詰ノ段よりも一段高く『浦戸城古城ノ図』などによると『五間四方』と書かれていました。現在の天守跡地は南北幅15m・東西幅10mの隅丸長方形をしており周囲は傾斜していました。この傾斜面の段状部がみられ天守の東南隅には土塁が南に向けて築かれていました。『国民宿舎「桂浜荘」』の改築時に発見されたようですが、石垣・石塁は地山を削り基盤に大石を置き、さらに石を積み上げていく野面積みであったみたいです。(〃艸〃)ムフッ
浦戸城画像ギャラリー
高知県を代表する景勝地である『桂浜』の背後の山一帯が浦戸城だと思われ、『坂本龍馬記念館』 『国民宿舎「桂浜荘」』へ向かっていけば辿り着けます(o^―^o)ニ
浦戸城の天守閣跡以外は『坂本龍馬記念館』 『国民宿舎「桂浜荘」』などの施設が建っています。
浦戸城の案内板の横に浦戸城天守閣跡への通路がありますね!(* ´艸`)クスクス
城攻めしてみると、土塁らしき跡はしっかりと確認できましね。
当時は絶壁の山城だったのかもしれませんが、今はしっかりと整備されこの天守閣跡あたりだけが残っている感じす!
天守台跡には大山祇神社と城八幡の祠が残っていました♪
一部石垣も確認でしましたね(o^―^o)ニコ
浦戸城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 本山氏、長宗我部氏、山内氏 |
住 所 | 高知県高知市浦戸 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1603年 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料)※龍馬記念館駐車場 |
浦戸城へのアクセス
浦戸城レビュー
浦戸城についての皆さんの評価をお願いします。
浦戸城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。