潮江城の感想
潮江は『しおえ』ではなく『うしおえ』と呼びます。
よってこの城は潮江(うしおえ)城と云います(^▽^)/
潮江城の築城はわかっていません。南北朝時代には南朝方の大高坂山城(現在の高知城)を支援するために南朝方の諸将が潮江山に陣取って北朝方と対峙したとされているので、砦などがあったのかもしれません。戦後期時代に入ると潮江城の城主に『片岡氏』や『長氏』の名前が見えますが、『長氏』は本山氏の家臣なので、当時勢力を拡大していた本山氏の勢力下に潮江城は置かれていたことがわかりますねぇ~((´∀`*))
1560年に長宗我部国親・元親親子と本山氏が戦となり、長宗我部元親の初陣となった『長浜の戦い(長浜表の戦い)、または、戸ノ本の戦い』で、『姫若子(ひめわこ)』と日々馬鹿にされていた長宗我部元親が大活躍をし本山氏を大敗に追い込み、長浜城を棄てて浦戸城に退かせる大金星を挙げます(o^―^o)ニコ
更に追い込みを掛けようと元親は考えるが、体調を大きく崩した国親は種崎城まで兵を退くことを指示し、長宗我部軍は長浜城を落とした時でよしとして種崎城へ移動させます。本山氏は浦戸城から更に朝倉城へ撤退すると、国親は種崎城と浦戸城に長宗我部配下の城代を配置し守備を固め、長浜城は破却させて岡豊(おこう)城に引き上げようとすると、長宗我部元親が『この度の戦の火種になった潮江城を落としてから帰陣しても遅くないはず』と上申し、多くの重臣が反対する中、潮江城攻めを強行したが潮江城は一発の銃声・一本の矢も放たれることも無く簡単に落城してしまう。潮江城は城主が逃げ出してモノ家の空だった様です。。。
多くの重臣・宿老から何故わかったのか?っと聞かれ、長宗我部元親は、1.空を飛ぶトンビや林のカラスなどが人を警戒している様子がなかったこと。2.城内に立ててある旗印が全く動かないこと。3.逃げた兵士が潮江城に誰かが残っていれば振り向くだろうが誰も城を振り向かずに逃げたこと。以上の3つ持って潮江城は無人であることを判断したと告げ、これまで馬鹿にしていた重臣や宿老も長宗我部元親に平伏し尊敬の念をもったと云われるエピソードがある潮江(うしおえ)城です(o^―^o)ニコ
潮江城画像ギャラリー
潮江(うしおえ)城は大高坂山城(現在の高知城)から鏡川を挟んだ向かい側(約2km)の場所にあります。現在は筆山公園として整備されています。
山道の両脇には土塁らしき形跡は確認できますね。頂上の主郭と思われる場所には遊具が立ち並んで見晴らし台があります((´∀`*))ヶラヶラ
周囲が堀切状になっているように思われますが、山全体が公園として整備されている感じがして、どこまで城郭として残ってるのかはよくわかりませんでした・・・(´;ω;`)ウゥゥ
クルマで山の上の方まで上がって行けますので見晴らしはいい感じでしたよ~♪
木が多過ぎて写真的にはよくわからないかもしれませんが・・・苦笑
潮江城【動画】
見晴らし動画をどうぞ!(*`艸´)ウシシシ
潮江城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 森氏、本山氏、長宗我部氏 |
住 所 | 高知県高知市筆山町10 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
潮江城へのアクセス
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