山名伊豆守時氏公之墓(鳥取県)

山名伊豆守時氏公之墓(鳥取県)

山名伊豆守時氏公之墓の感想

山名時氏は一代で急成長させた英主と称されます(。◕ˇдˇ​◕。)/

山名時氏は鎌倉時代末期~南北朝時代に掛けて活躍した武将で、当時は伯耆国・出雲国・隠岐国・若狭国・丹波国などなどを支配する守護代大名で『太平記』にも登場する武将です。
足利尊氏・直義兄弟の母である上杉清子は山名時氏の母方の従姉妹にあたる様です。山名氏は元々上野国(こうずけのくに)の新田氏の一族だった山名政氏の子として生まれています。山名氏は鎌倉幕府創立時から御家人だった様で、新田氏の流れであることから上杉氏・足利氏との関係が深くなかなかの地位に付いていた一族なんじゃないかなぁ~って勝手に思っています。しかし、山名氏は鎌倉時代末期の政争や幕府の滅亡に伴って没落してしまったみたいですね。そんな中、山名時氏こそが山名氏の嫡流の地位を回復させた人物だったみたいです<(`^´)>
面白いのは・・・山名氏は新田氏の流れにも関わらず新田義貞には従わず、足利尊氏に従い後醍醐天皇からの離反や湊川の戦いに参戦するなど足利尊氏と共に行動していた様ですね。1337年には名和氏が支配していた伯耆国の守護を命じられ名和氏を掃討などを行い、その後、1341年には塩冶氏を討伐し丹後国・出雲国・隠岐国の守護となる。1347年には楠木正行(くすのきまさつら)と戦い敗北してしまいますが、翌年には若狭国の守護となっています!
山名時氏は伯耆国を中心に5カ国の守護大名になり、山名時氏の一代で大きく飛躍することとなります。その後も、足利氏や高氏や斯波氏・細川氏などと、大内氏や楠木氏、佐々木道誉と激しく対立しながら、播磨国や因幡国に攻め入ったり京を奪還したり九州まで戦火を広げたりと、とても巨大な勢力を持っていたことがわかりますね!
英雄だった山名時氏も、1371年に亡くなり(享年:69歳)遺体は、伯耆大雄山の光孝寺(現在の山名寺)に葬られ、山名家は嫡男の師義が後を継ぎます(=゚ω゚)ノ

まぁ~とにかく、凄い名将だったんですね!!!山名時氏は!!!!!( `ー´)ノ

山名伊豆守時氏公之墓画像ギャラリー

『山名伊豆守時氏公之墓』は山名寺の寺内裏山にあります!

『山名伊豆守時氏公之墓』の手前には『山名氏関係の墓石群』があります。ここを抜けて少し山に入って(登って)行きます<(`^´)>

『山名伊豆守時氏公之墓』です!!!!

山名伊豆守時氏公之墓情報

年 代1371年没
住 所鳥取県倉吉市巌城956
種 別史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

山名伊豆守時氏公之墓へのアクセス

山名伊豆守時氏公之墓レビュー

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