郡山城/大和郡山城(奈良県)

郡山城/大和郡山城(奈良県)

郡山城/大和郡山城の感想

藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。

郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。
筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶の元で働いていた家臣たちと折り合いが悪くなりギクシャク・・・伊賀上野国へ国替えされたときに家臣団たちの不満も爆発し、後に、『筒井の三家老』と呼ばれていた、松倉重信(右近)、その後に島清興(左近)にさえも出奔されてしまいます・・・悲しー(´;ω;`)ウッ…

筒井定次の跡に大和国に入国してきたのが豊臣秀吉の弟豊臣秀長で、秀長は大和国・紀伊国・和泉国100万石の大国主として、この郡山城を中心に国の経営を行おうと考えます。大和国には神社・神様・仏様がめちゃめちゃ多く、紀伊国には根来衆や高野山など、なかなか治めるには難しい国だったと思いますが、だからこそ豊臣秀長が抜擢されたんでしょうね。
主を変えて転々とする藤堂高虎も豊臣秀長には惚れ込み、秀長か死去するまで仕えます。

藤堂高虎も100万石の国主のための城をしっかりと縄張りします。それがこの郡山城です!大傑作です♪(o^―^o)ニコ

大和国(奈良県)には良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の農民たちに五郎太石(五郎太石とは直径20㎝~25㎝ぐらいの石)の提供を義務付けたり、春日大社の水谷川から大石を切り出したり、寺院の石地蔵や墓石、仏塔やな平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、仏教遺跡である石仏が郡山城の石垣の中から見つかるなど、この郡山城の石垣を築くのに壮絶な石垣の収集がされていたことがよくわかります。

藤堂高虎の思惑通りか?郡山城の石垣は相手を威圧するだけの迫力があり、神仏でも敵わないだろうっていう無言のメッセージを感じるほどの壮絶な石垣の城です。

郡山城/大和郡山城画像ギャラリー

郡山城には大和西大寺駅へつながる線路沿い、三の丸付近から城攻めすることが出来ます。

鉄御門(くろがねごもん)には五軒屋敷堀が広がっています。広い!堀!すげえ!

さらに内堀が続きます。

郡山城由来

竹林橋跡を進んで郡山城天守台へ城攻めします!

凄い石垣の迫力です!!!驚かされますね!!!

極楽橋を渡ります。。。

さっきの内堀はこの極楽橋までつながっているんだと思われますね!

久護門跡です

郡山城の一番の見せ所!『追手門』『追手向櫓』&抜群の石垣!!!です!((´∀`*))

追手門の詳細です

東隅櫓あたりにアタックしてみます!

郡山城内には『旧奈良県立図書館』があり貴重な文化遺産になっています。

二の丸を充分に堪能し二の丸方面から『郡山城の本丸・天主台』を眺めてみました!

流石に美しい~♪(n*´ω`*n) 本丸・天守台周りを強固な石垣(すげぇ~高い!迫力めちゃある!)と内堀でがっちりと固められています。

さぁ~極楽橋を戻り、いよいよ本丸に突撃します!

『さかさ地蔵』です。正確には『あと』でしょう。今は取り外され供養された様です。
織田信長からの流れ何でしょうか?石垣構築には神仏も容赦なく使われていて、当時の城作りの壮絶さを感じます!

いよいよ天守台に登ります!

天守台からの高さは相当あって、股間がヒューヒューするぐらいです!凄い!来てよかった!(^▽^)/

当時の岩が残されていました!

郡山城/大和郡山城の情報

築 城1580年
城 主筒井氏、豊臣氏、水野氏、松平氏、本田氏、柳澤氏
住 所奈良県大和郡山市城内町
種 別平山城
廃 城1873年
特 徴国指定史跡、国重要文化財
続日本100名城※続日本100名城スタンプは柳沢文庫にて押せます。
入場料無料
営業時間
駐車場有り(有料の三の丸駐車場あり)

郡山城/大和郡山城へのアクセス

郡山城/大和郡山城レビュー

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