米子城(鳥取県)

米子城の感想

前から一度足を運んでみたかったお城です。

『米子城』です(*`艸´)ウシシシ
毛利の一族、吉川広家さんが築城したお城です。

吉川広家さんは毛利元就の次男吉川元春の三男坊で、幼き頃は『うつけ』として周りからは厳しい評価をされていたようです。父の元春と長男の元長が死去すると、吉川家を継いで当主となり武闘派としてならし豊臣秀吉からも高い評価を得ることとなります。

当時の毛利家(毛利輝元)は拡大した支配国の国人たちの力を弱めるために家臣たちの国替えを命じます。吉川家も伯耆国に移動させられ、当初は月山富田城に入城していましたが、新たな街つくりを行うためこの飯山に新たに築いたのが『米子城』の様です。

毛利家というか吉川家(広家)の特徴っていうか、山口県の萩城に見られる通り城は港(海)側に堅固な城を築き、裏山(萩城でいえば指月山)に飯山にもうひとつの山城を築くといった特徴があります。

実際に訪問してみると・・・石垣の立派さ!壮大さにびっくりします!
正直、米子城を舐めていました~反省

ここまでの石垣は関ケ原合戦後、国替えをさせられ吉川広家が去った後に入国した中村一忠が城郭を拡大し、このような石垣を築いていったそうです。江戸時代になると飯山は出丸として本丸を湊山へ移し拡大し四層五重の城となり、山陰一の名城となったようです。

因みに・・・1609年に中村家は断絶。その後、米子城は鳥取藩の家老荒尾成利の預かりとなったようです。
明治には米子城の木材は格安で売り飛ばされ、今の石垣だけの城跡として残ったようですね。

俺は・・・それでも・・・吉川広家さんの魂を感じています!

米子城画像ギャラリー①

山頂にはこの様な壮大な石垣が我々を迎えてくれます!規模がすごい!!!


鉄御門跡です!
昔はここに門がありましたが、厳重に鉄板が張り付けられていた門だったようです。
よって、『鉄御門→くろがねごもん』と言います。



内膳丸跡です。中村一忠の家老であった横田内膳が築いた城郭のため『内膳丸』と言われ、主に武器などを管理する櫓としての役割があり、その重要な役割を横田内膳が担当していたらしい。なかなかの規模で広いです。



米子城の説明です。現地に行けば面白い情報がたくさんあり魅力的ですなぁ~((´∀`*))




米子城内には『城山大師』というのがあって、四国八十八ヶ所を模した石仏群巡りが出来るらしく、俺は十七ヵ所しか見つけれませんでした。本気を出して八十八ヵ所を巡ると、米子城内で2時間ほどかかるそうです。。。

米子城画像ギャラリー②

米子城情報

築 城1470年頃
城 主尼子氏、山名氏、古曳吉種、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏
住 所鳥取県米子市久米町
種 別平山城
廃 城1871年
特 徴国指定史跡
続日本100名城※続日本100名城スタンプは米子市立山陰歴史館にて押せます。
入場料無料
営業時間<米子市立山陰歴史館>
9時30分〜18時(最終入館17時30分)
休館日:火曜、祝日の翌日、年末年始(12月29日〜1月3日)

米子城(よなごじょう)へのアクセス

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