備中高松城の感想
高松城とはありますが、現在の岡山県に存在する備中高松城(四国ではありません!)です。
備中高松城は豊臣秀吉(若しくは黒田官兵衛)の代名詞にもなった『水攻め』で攻め滅ぼされた城で、その後、小田原征伐の時に秀吉の側近、石田三成が北条方の成田氏が守る忍城を備中高松城と同様に水攻めを行い大失敗し、小田原征伐で唯一北条方のお城を落とせなかった城として、石田三成の戦下手のレッテルが張られるぐらい、水攻めは相当難しい戦略なんだと思います。
備中高松城はその昔この一帯を支配していた戦国大名三村氏が家臣の石川氏が築いた城とされています。三村氏と毛利氏は当初仲が良かったのですが、三村元親の時にこれまで敵だった宇喜多氏と毛利氏が結んだ事(織田軍の侵攻により共同戦線を結んだ)により、三村元親は激怒!毛利氏から離反します。離反を毛利氏は許さずに三村元親を自害まで持ち込み滅ぼしてしまいました。
石川氏も三村氏同様に滅ぼされたため備中高松城には、元石川氏の家臣であった清水宗治を城主として抜擢をします。毛利家臣となった清水宗治は小早川隆景の配下に組み込まれ従軍し、忠誠心厚く精励し隆景をはじめとする毛利氏の首脳陣からも清水宗治の人柄から深く信頼されたようです。
1582年織田信長軍の豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が進軍してきて、降伏すれば備中・備後2カ国を与えるという条件を出したが宗治は応じず、信長からの誓詞を毛利輝元にそのまま届けるなど忠義の武将の姿を貫いたとされています。
備中高松城は城の周りを深い湿地帯が広がりそれが天然の堀として難攻不落の城が前で秀吉軍を悩ませましたが、黒田官兵衛の水攻め案で戦局が一転!備中高松城は水没し落城寸前。毛利輝元・吉川元春・小早川隆景が援軍で駆けつけるが戦線が膠着状態に陥り長期化する。
そうこうしているうちに『本能寺の変』が起き、秀吉軍は京に戻るために(中国大返し)信長の死を隠して宗治の命を条件に城兵を助命する講和を呼びかけた。安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)に交渉されて、清水宗治は信長の死を知らぬまま6月4日に城兵の命を助けることを条件に水上の舟の上で切腹しました。享年46歳。
辞世の句は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して。」
備中高松城画像ギャラリー
平城で周りが湿地だったのがよくわかる地形です。
石垣や山城の様な醍醐味は全くありませんが、当時の面影がよくわかる城の作りだなぁ~って思い思います。この日は天候も悪く(時より小雨)湿地感が湧き出てくるような雰囲気でした。
当時の布陣がよくわかります。援軍に駆け付けた毛利軍が川に阻まれ対峙ししているのがよくわかります。
城内には清水宗治の辞世の句と首塚がありました。
清水宗治を尊敬している(生き方と人柄)俺には胸に熱いものが来ました・・・・
備中高松城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 石川氏、清水氏、花房氏 |
住 所 | 岡山県岡山市北区高松 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 1600年頃 |
特 徴 | 国指定史跡 続日本100名城※続日本100名城スタンプは高松城址公園資料館にて押せます。 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | 高松城址公園資料館 10:00〜15:00 休館日:月曜日、年末年始 |
駐車場 | 約30台 |
備中高松城へのアクセス
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梶屋へのアクセス
備中高松城レビュー
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