二俣城の感想
『二俣(ふたまた)城』です。
二俣川と天竜川の合流地点にある両川を大きな堀とした天然の要害地です。『鳥羽山城』が付城として存在しており、今回はそれもひっくるめて『二俣城』としています。
ここで徳川と武田が激しい争奪戦を展開する激戦区で、武田側から見れば信濃から攻め込むと遠州平野の入り口となり、南下して気賀まで行けば東海道の脇街道にあたる道が東西に延びており、さらに南下すれば浜名湖に到着するという交通と軍事的目的にはとても重要な城だったと思われ、徳川も必死でこの城を守ろうとしています。
元々は今川氏の傘下にあった二俣氏が築城した城であり、その後は松井氏がこの城を治めますが徳川と武田に今川が攻められ滅びると、松井氏は武田氏に付いてしまうので危機感を感じた徳川家康は松井氏を降伏させ譜代の中根氏を二俣城に入城させ守りを固めます。
有名な話は『二俣城の戦い』ですね!
武田勝頼を大将とする武田軍が武田信玄と共に東進を開始。2万7千もの大軍で二俣城を囲みますが城兵もよく城を守り武田方は二俣城を大いに攻めあぐねたと言われています。二俣城には井戸がなく城内の飲み水を 天竜川沿いの断崖に井楼を設けて釣瓶で水を汲み上げて 確保していることを知ると、力攻めを断念した武田軍は 大量の筏を作らせて天竜川の上流から流させ、筏を井楼の柱に激突させて破壊するという 作戦に切り替え実行し成功させ水の手を絶って勝利したと言われています! 実にすごい作戦ですね!
二俣城を落城させて武田軍は徳川家康がこもる浜松城を無視して東進したため、追い詰められた徳川家康は城を出て戦うことを決意し出陣し、あの徳川家康が惨敗する『三方ヶ原の戦い』につながるのです。。。( ̄ー ̄)ニヤリ
因みに・・・二俣城といえば、最も有望視していた徳川家康の長男信康が、織田信長に裏切りの疑いを掛けられ徳川信康は切腹させられる悲劇の舞台となった城でもあります。。。
城の説明案内です。さてさて・・・城攻めスタートです。クルマでかなりいいところまで行けますよ。
二俣城画像ギャラリー
堀切に空堀
二俣城の本丸です。立派な石垣が築かれています。見ごたえばっちり!
二俣城の履歴です
二の丸や土塁その他門跡など・・・とても整備されていていました!
二俣城情報
築 城 | 不明 16世紀中頃? |
城 主 | 二俣氏、松井氏、中根氏、依田氏、大久保氏、堀尾氏 |
住 所 | 静岡県浜松市天竜区二俣町 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1600年 |
特 徴 | 国指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
二俣城へのアクセス
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