源平屋島合戦/屋島古戦場
『屋嶋城』を目指し登っていくと、源平の合戦の際に多くのドラマを生んだ『源平屋島合戦/屋島古戦場』を見下ろせる場所があります!!!
『源平屋島合戦/屋島古戦場』は、平安時代後期に勃発した『源平合戦』のうち、1185年に讃岐国の屋島(現在の香川県高松市)で行なわれた合戦です。源氏の勢いに天下を治めていた平家は連戦連敗を繰り返し平家一門は都落となってしまいます。平家が西国へと逃げ延びるなか、源氏は『三種の神器』を奪われたままであったため逃げる平家を源氏は追撃。平家を討つために水軍を得た源義経は、平家の重要拠点である屋島を目指します。海側からの攻撃を予測していた平家でしたが、源義経率いる源氏軍は摂津国の渡辺津から出向し阿波国の勝浦に上陸し陸路讃岐国に侵攻し讃岐国側から屋島を攻撃したとされています。今は埋め立てられていますが屋島は海を挟んだ巨大な島だったと想像でき、源義経率いる源氏軍は屋島と距離のあった南側の讃岐国側ではなく屋島の東側にある小さな半島の様な山側から屋島を攻撃したんじゃないかと思われます。
実際に現地に行ってみると自分の認識とは違うことに、本当に新たな発見があり楽しいですね!(o^―^o)ニコ
源平屋島合戦/屋島古戦場画像ギャラリー
屋嶋城は国道11号線から屋嶋方面に進むと『屋島スカイウエイ』で屋嶋城の山頂まで進むことが出来ます。山頂には大きなパーキング(有料)があり、そこに『弓流し図屏風』があります♪

『義経の弓流し』と云われる有名な場面の絵らしいです!
そのすぐ近くには『源平屋島合戦 主な登場人物看板』がありました♪
源義経・・・海に落とした弓を剣で相手の矢を防ぎながら拾い上げる絵の様です!
那須与一・・この源平屋島合戦/屋島古戦場で、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を
射落とすなど功績を挙げ!!!(うん!ドラマチック♪)頼朝より5カ国
の荘園を賜ったっとされています!!!
那須与一の墓はこちら
那須氏の城!烏山城はこちら

佐藤継信・・・奥州藤原氏の、豪族・佐藤基治は三男と四男の兄弟で有名ですね!
源義経の腹心として兄弟は活躍します!
景清と十郎・・『錣(しころ)の伝説』で有名ですね~♪平(藤原)景清が浜辺に上がり、
十郎の錣(兜の首まわりをおおって首を守るもの)を強く握りました!
そうはさせじと逃げる十郎は、ついに錣(しころ)の糸が切れ、景清が
兜から錣を引きちぎったようです!その錣を高くかかげ、割れるような
声で「我こそは都で名高い悪七兵衛景清」と名乗りをあげました。
喜んだ平氏は歓声をあげたようです!!!

太夫黒・・・大夫黒(たゆうぐろ・たいふくろ)は源義経の愛馬だった様です!
太夫黒は合戦で命を落としたわけではありません。
屋島の合戦では、源義経の盾となって敵方の矢に倒れた武将は佐藤継信。
義経は自分の身代りになったこの家臣の死をたいそう悲しみ、継信を手厚く
弔ってもらうため、合戦の地に近い志度寺の僧侶に愛馬の太夫黒を寄進した
という伝説があるのです。『太夫黒の涙』として伝わっている様です。

結構、讃岐から屋島は離れていたんだなって思いますね!

侵攻ルートです!

源平合戦のとき、檀ノ浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、『血の池』と呼ばれるようになりましたって云われています。。。屋島の合戦じゃないんかい!?(# ゚Д゚)







源平屋島合戦/屋島古戦場を見下ろします!!!( `ー´)ノ








日の出がキレイだぁぁぁ~笑笑(*`艸´)ウシシシ
源平屋島合戦/屋島古戦場情報
年 代 | 1185年 |
住 所 | 香川県高松市屋島東町 |
種 別 | 史跡(古戦場) |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(有料) |
源平屋島合戦/屋島古戦場へのアクセス
源平屋島合戦/屋島古戦場レビュー
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