御着城/天川城(兵庫県)

御着城/天川城(兵庫県)

御着城/天川城の感想

黒田官兵衛ゆかりのお城として御着城へ行ってきました。御着城は黒田家の主君である小寺氏のお城になります。小寺氏は赤松氏の支流で小寺頼季(こでらよりすえ)が祖として始まった氏族になり、黒田氏は黒田重隆(くろだしげたか)=黒田官兵衛の祖父 が小寺政隆(こでらまさたか)に仕えるようになり小寺氏の家臣として頭角を現していきます。重隆(しげたか)の息子、黒田職隆(もとたか)が姫路城代の役割を与えられて、小寺氏の娘(養女)を妻にしています。その職隆(もとたか)の息子が黒田孝高(くろだよしたか)=黒田官兵衛(くろだかんべえ)になります。そして黒田官兵衛も小寺政職(こでらまさもと)の姪にあたる櫛橋氏の娘、光(てる)を妻にしています。
大河ドラマ「軍師官兵衛」では小寺政職(こでらまさもと)は片岡鶴太郎さんが演じられていて印象に残っている方も多いのではないでしょうか?
小寺政職は織田信長に着きますが、荒木村重が信長に反旗を翻すとそれに合わせて小寺氏も毛利氏に着きますが、信長の家臣だった豊臣秀吉によって御着城は落城し小寺政職は英賀城へ逃げますが、その後、毛利氏を頼って広島県の鞆の浦まで行き、足利義昭に仕え1584年にこの地で亡くなりました。
黒田官兵衛が小寺氏の家臣として働きながらも秀吉の家臣になっていくきっかけとなった場所でもあると考えると歴史好きとしては言っておくべき場所の一つだと思います。

御着城についてですが、御着城は1977年−79年ごろに発掘調査が行われて当時の遺物など発見されているようですが、現在は御着城跡公園となっており、お城のような雰囲気をした姫路市役所 東出張所が建てられています。
遺構らしきものはあまり見られず、すぐ横を国道2号線が走っているので当時のお城の範囲としては国道に分断されてしまっている状況になります。😢
国道2号線を渡った反対側に小寺大明神という神社があり、小寺氏のお城だった面影を見ることができます。

御着城/天川城画像ギャラリー

御着城道路案内板

国道2号線沿いに御着城跡の看板を発見!

向こう側に渡るには歩道橋があるのでそこから渡って行きたいと思います。

歩道橋の上から御着城跡を撮影。奥に見えるお城みたいな建物が「姫路市役所 東出張所」です。

御着城説明板

御着城の公園入り口に着くと、御着城506年記念の立て看板がありました。(2025年現在)この公演が本丸跡みたいですね。早速入ってみます!

全体としてはこんな感じですが、城跡の遺構らしきものは無さそうですね。

普段はボランティアガイドがいるのでしょうか?しかも小学生と書いてありますが、これは小学生がガイドしてくれる?それとも小学生を対象にガイドしているのか?気になりますが、この時は人もいなく説明がないのでわかりませんでした。
誰かしている人がいたら教えて欲しいです。

壁などもお城っぽくはなっていますが、散らばっている石も含めて当時のものでは無さそうです。

御着城跡案内図

案内図を見ると、グラウンドが二の丸だったとされているようですね。黒田家廟所が奥にあるようなので行ってみたいと思いますが、記事は別で書きますのでご興味のある方は黒田家廟所の記事をご覧ください。

姫路市東出張所の裏に天川橋(復元)があるとのことで行ってみたのですが、画像がなぜか残ってなく掲載できませんでした。申し訳ありません。

黒田官兵衛顕彰碑

黒田官兵衛顕彰碑をみて最後に小寺大明神を参拝して終わりたいと思います。

小寺大明神

歩道橋を渡って反対側に小寺大明神があります。最初、御着城にしか目がいってなく国道沿いの案内板にも小寺大明神と書いてあったのに気づいていませんでした😅
なので最後に訪問です。

階段を登ると入れるようです。登ると周辺の史跡案内の地図がありました。
番号が振られているもののその説明が記載されている訳ではないようなのでどのような史跡があるのかわからず。。

小寺氏一族と御着城に関係する人々をお祀りしているとのことです。

小さいながらも綺麗に整備されていて地域に愛されているのかなと感じました。

誰のものかはわかっていないようですが、発掘調査の際に出土した五輪塔がありました。
小寺家に関係する家臣の方のものでしょうか?

小寺大明神への参拝を終えてこれで御着城の登城完了です!

御着城情報

築 城1519年
城 主小寺氏
住 所兵庫県姫路市御国野町御着1142−8
種 別平城
廃 城1579年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

御着城へのアクセス

御着城レビュー

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