八王子城の感想
関東での屈指の山城である『八王子城』です。
関東制覇を目論む北条(後北条)氏が小田原城の支城とした築いた城で、築城は北条氏照(北条氏康の三男)といわれており、そうとう思いを込めてこの壮大な山城を築城したと思われます。
北条氏照は当初、有力豪族であった由井領主の大石氏の娘を娶り養子として入り、北条氏ではなく大石氏を名乗っていたこともあり、この地域は武田からの侵略を防ぐため重要な役割を氏康から期待されていたことがわかります。
そんな経緯で八王子城の築城が考えられたのではないかと個人的には思います。
(元々は滝山城を居城にしていた時もあったみたいです・・・)
八王子城は標高445 m(比高約240 m)の(今の)城山に築城された壮大な山城で、八王子権現を祀ったことから八王子城と名付けられた。深沢山にも山王社があったために日吉大社の神体山にちなんで「八王子山」とも呼ばれていたことから八王子城と名付けられたとする説もあるみたいですね。
北条氏照の壮大な理想を込められた山城だとは思うのですが、八王子城が有名になるのは奇しくも豊臣秀吉が北条征伐を決定した『八王子城合戦』であり、秀吉はこの八王子城を関東における見せしめの合戦の場として選びます。
秀吉軍は、上杉景勝・前田利家・真田昌幸ら1万5千の部隊に八王子城を攻撃させます。一方、北条方は城主の北条氏照は小田原城で籠城しており、残された家臣とに加わった上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内に領内から動員した農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠った。
八王子城合戦は残酷で見せしめのために『撫で切り(女子供老人も構わず皆殺しにする)』が実施され、八王子城に籠った北条方は全員が殺され、氏照の正室である比左は自害し周りの者は滝に身を投げて死んだそうです。因みに滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し次々と身を投じたと言われ、落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、次々と身を投じたと言われている。こう言われるほど、小田原攻めで他に例を見ない殲滅戦となった。麓の村では城山川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどであったと伝えらています。
八王子城画像ギャラリー
城攻めの前に登山口に施設があり、そこで八王子城と滝山城の説明が展示されています。滝山城は規模が八王子城並みに壮大であるが、八王子城はその標高の高さから難攻不落を意識した山城であったことがわかります。
山道は山城らしいうねった急こう配の道でときより『出丸』が築かれており、籠城の際の兵の確保も、打って出る際の準備もしっかり出来ていたことがわかります。
フォアグラ~♪ 山城の醍醐味です!!!山に埋もれた石垣を発見!!!!最高ですね!
標高は上がり八王子の街並みが一望できます。これだから山城の魅力が満載なんですよね~
頂上近くの階段を登りきると『八王子神社』が出てきます。本丸はその脇から上がっていきます。
ここにも石垣の後が・・・・・萌え~♪
八王子城の本丸に到着! 今回も厳しい山城攻めでしたか無事にコンプリートです!!!
八王子城には北条氏照のお墓があります。
小田原征伐の時には小田原城に籠り八王子城が落城した時には不在だったはずなのですが・・・よほど八王子城に思いがあったんでしょうね・・・家臣団と共に奉られています。
八王子城情報
築 城 | 1587年 |
城 主 | 北条氏照 |
住 所 | 東京都八王子市元八王子町3丁目2664ー2 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1590年 |
特 徴 | 国指定史跡 日本100名城※日本100名城スタンプは八王子城跡ガイダンス施設にて押せます。 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | ガイダンス施設 9:00〜17:00 休館日:12月29日〜1月3日 |
駐車場 | 大型バス4台・普通車50台・車椅子用駐車場2台 |
八王子城へのアクセス
八王子城周辺おすすめグルメ情報
八王子といえばこの名店!『八王子ラーメン みんみん』さんです!
芸能人のヒロミさんが大絶賛の八王子の地元の人から愛されている八王子ラーメン!
特にここみんみんさんは多くの有名人が訪れていました!
しかし俺はこの時ピリ辛ネギをトッピングしたチャーシューラーメンを注文!
みんみんラーメン 本店へのアクセス
八王子城の評価
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