蜂須賀城の感想
今回は蜂須賀城を訪問してきました。遺構などはほとんど残っておらず、説明板や蜂須賀小六正勝公顕彰碑などがあるのみとなります。現在は蓮華寺の一部にこのような標柱などがあるだけですが、当時は現在の蜂須賀グラウンドあたりに200m四方の城(館だとおもいます。)があったようです。
1526年、蜂須賀小六はこの蜂須賀城で生まれ、斎藤道三、織田信賢、織田信清と仕え戦国時代の覇者である織田信長に仕えることになります。そして、信長の家臣であった木下藤吉郎(豊臣秀吉)と出会います。これ以前から知り合いだったとの話もありますが、この二人の信頼関係が築かれていったのは間違いなく信長の下で墨又一夜城の築城を行うなどがあり信頼関係が築かれたものと思われます。その後は黒田官兵衛と共に中国地方の毛利氏との交渉や、四国の長宗我部元親との和議などもこなし、勇猛な武将のイメージがありますが、若い頃は戦で戦果を上げ出世し、晩年には戦う選択肢も持ちつつ頭を使った交渉もこなすなど知略にも優れていた武将と言えると思います。信長亡き後も秀吉を仕え天下統一の手助けを続け、阿波一国(175,000石)の褒美も断り息子(家政)に譲るなど、秀吉の支援に徹した姿勢も評価したい武将と言えます。
蜂須賀城の歩き方(動画)
蜂須賀城画像ギャラリー
蜂須賀城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 蜂須賀氏 |
住 所 | 愛知県あま市蜂須賀大寺 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 蓮華寺の駐車場に停められます。 |
蜂須賀城へのアクセス
蜂須賀城レビュー
蜂須賀城についての皆さんの評価をお願いします。
蜂須賀城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。