平松城(鹿児島県)

平松城(鹿児島県)

平松城の感想

平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。
島津義弘はその後、加治木城(加治木屋形)へ移り晩年を過ごしたとされています。義弘がいなくなった後の平松城は義弘の娘、御屋地様が居館として使われました。
江戸時代中頃から明治維新まで平松城は越前島津家のお城として使われ、現在は重富小学校となっています。

平松城画像ギャラリー

石垣が城跡の雰囲気を残していますね!

お城とは関係ないですが、この小学校の正門が元々は鹿児島県庁の正門だったみたいです。

中には入れないので後ろからですが、この大きな石碑は日清日露戦争記念碑とのことです。

平松城情報

築 城1554年
城 主島津氏
住 所鹿児島県姶良市平松5636
種 別平城
廃 城1871年
特 徴市指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

平松城へのアクセス

平松城レビュー

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