北郷久秀・忠道の墓

北郷久秀・忠道の墓

北郷久秀・忠道の墓の感想

梶山城の麓に北郷久秀・忠道のお墓があります。ここには大昌寺というお寺があった所で二人が戦死した後に二人の父、「北郷義久」が建立したとされております。現在はお寺もなくなり、大昌寺跡にひっそりと二人のお墓があります。

北郷久秀・忠道ですが、北郷家は島津家の支流にあたる家系で、都城島津家とも言われます。南北朝時代末期(厳密には終わってる?)の1394年に梶山合戦という戦いが梶山城でおこります。この戦いは北郷氏(島津家)対今川氏(今川方の相良氏、伊東氏、北原氏など)の戦いで二人の父「北郷義久」が家臣の高木氏などが守る梶山城に北郷久秀・忠道を応援に行かせるのですが、二人は梶山城で討ち取られてしまい、梶山城も落城という歴史があります。梶山城だけではないですが、この都城周辺はこの後も様々な城主に入れ替わり戦国時代が終わるまで争奪戦が繰り広げられた地域でもあります。

北郷久秀・忠道の墓画像ギャラリー

説明板

北郷久秀・忠道の墓

北郷久秀・忠道のお墓になります。右のお墓(五輪塔)が久秀、左のお墓(五輪塔)が忠道になるのだと思われます。

腰掛石

北郷久秀が亡くなる直前に腰掛けていたとされる石とのことで「腰掛石」と言われているそうです。

北郷久秀・忠道の墓情報

年 代1394年没
住 所宮崎県北諸県郡三股町長田字中原
種 別市指定文化財
入場料無料
営業時間
駐車場無し

北郷久秀・忠道の墓へのアクセス

北郷久秀・忠道の墓レビュー

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