飯山城の感想
今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。
飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。
確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしていて、急峻な崖を90度近い切岸にして攻められないようにしており、城の規模も大きく攻め落としづらそうなお城だと感じます。
飯山城でおもしろいのは、このように争っていた武田信玄と上杉謙信ですが、上杉景勝と武田勝頼の時代になると、勝頼の妹(信玄の娘)が景勝に嫁ぎ、その縁もあってこの飯山城は上杉家の家臣、岩井信能(のぶよし)が城代でしたが、景勝から武田に領地としては割譲されて武田の領地になっていました。
武田滅亡後は織田信長の家臣、森長可のお城となりました。上杉はその後、会津に移封となり、上杉も武田も飯山城とは関係がなくなってしまいましたが、現在の城下町や寺などはこの岩井氏の時代に整備されたようです。「昨日の敵は今日の友」のことわざ的な史実でおもしろいですね!
飯山城画像ギャラリー
早速飯山城を巡っていこうと思います。基本あまり事前に調べずに城を巡るので到着して想像していたより大きいお城で驚いてます。
復元城門
それでは、上の画像の現在地から巡っていきます。
左上から、飯山城入口の交差点(撮影方向はお城が背側)、上段真ん中が入口交差点からのお城の門方向。そして歩いていくと、復元城門が見えてきます。とても立派で復元ではありますが、素材など当時のものを使っている部分もあるせいかとても趣を感じる復元門です。
先程の復元門の説明版には13の門があったと書かれていたけど、こちらの上段真ん中の門の中にかかっていた説明版には15の門があったと書いてありますね。どちらが正しいんだろう?すでにいくつあったのか正確にはわからなくなっているのかも知れないですね。
南中門跡
南門跡と書かれています。この説明を読むと門跡の中で礎石(建物の基礎)が見つかったのはここだけと書かれています。どおりで門の数が13とか15と説明が異なるのも理解できますね。
西曲輪・西館門跡
全体のマップの丸印(西館門跡)から矢印方向へ進んでいきます。ここが西曲輪になるみたいです。とてつもない広さの廓ですね。遊具などもありますが、きちんと土塁もあり城跡の雰囲気も見つけられます。
【動画】西曲輪の周囲〜帯曲輪と本丸の間にある切り通しを撮影
西曲輪を一度、お城を出て小学校の方へ。当時はこの辺り堀だったみたいですが、堀を埋め立てただけなら道が真っ直ぐでもいいはずなのに真っ直ぐじゃ無かったり、小学校の建物が一段高くなったところに建てられていたり、たまたまかも知れないですが、何か遺構の跡に思えてきます。ブラタモリの見過ぎかも笑
説明の画像と重なって分かりづらいですが、上の画像の丸印あたりに居ます。
扇坂跡
面影は残っていないですが、扇坂跡という場所らしいです。当時は扇型の階段があり、侍が待機する場所、番所が建っていたとのことです。
【動画】扇坂跡周辺から撮影
帯曲輪
ここは本丸と西曲輪の間にある帯曲輪のあたりになります。
綺麗な切り通しになっている通路ですね。右が帯曲輪。左の高くなっているあたりが本丸になります。
帯曲輪から西曲輪を見下ろした景色です。
この階段を登って鳥居をくぐったら本丸です。
本丸・葵神社
現在、本丸の場所には葵神社があり、この葵神社は本多広孝を祀っているとのことです。本多氏は飯山藩を9代に渡って納めた藩主の家系で、明治16年にこの神社が建立されたとのことです。
本丸二重櫓・枡形石垣・本丸門
飯山城に天守閣はなかったようですが、本丸には二重櫓が建っていて、天守の代用として建てられていたようです。
【動画】枡形石垣・本丸門から本丸周辺を撮影
坂下門跡
本丸の裏手側(神社の建物の後ろ)に坂下門へ降りていく道があります。
かなり急な階段と坂を降りると坂下門なのですが、ここは切岸になっていて角度が現在でもかなり急な角度。たぶん70度〜80度くらいありそうなのですが、当時はほぼ垂直の切岸だったと書かれています。画像では伝わりづらいですが、20m以上はある高さなのに90度の垂直に山を削る技術に驚きですね。
坂下門跡から戻る道に二の丸方面へ行ける分岐があります。その二の丸側の入り口が坂口門(下画像)になります。
坂口門跡
二の丸から見た本丸の石垣です。全体的に石垣はあまり使われていないお城ですが、石垣上は二重櫓など建っていたりしたので見栄え的に石垣を積んだのかも知れないですね。
二の丸御殿跡
二の丸跡をぐるりと散策します。広いので全体感がわかりづらいですが、二の丸御殿跡となっているので、通常の居住場所はここ二の丸だったということですね。
本丸は攻められた時の身を守るためと二重櫓などの天守の代わりの威厳的な見栄えのための場所だったということがわかります。
三の丸
二の丸からさらに三の丸へ進んでいきます。二の丸と三の丸へは下っていく形になっていますが、二の丸と本丸の高低差よりも三の丸と二の丸の高低差の方が大きくなるように作られています。防御的な意味を考えてこの高さがあるのだと思いますが、堀切などにして完全に二の丸と三の丸を分けていない作りを考えると江戸時代以降に今のようなお城の形になったのだろうかと思ったりもするつくりですね。
外郭
三の丸からは外郭が見えるはずですが、外郭は現在、野球のグラウンドになっているようです。
帯曲輪(2回目)
三の丸の外側を歩いて帯曲輪まで戻ってきました。行きに気づかなかったですが帯曲輪の説明板がありました。
三年坂・桜井戸跡
階段になってますが、三の丸に通じている坂道を三年坂と呼ぶみたいです。なぜ三年坂なのかは不明とのこと。その三年坂のところに桜井戸跡があります。桜井戸の由来は鎌倉時代に泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)が桜の木があり鶴岡八幡宮のお札を掛けて掘ったら水が出たという伝説によるものとのことです。
飯山城址公園交流展示館「城terrace」
飯山城址公園交流展示館「城terrace」というところで飯山城の年表を発見。ちゃんと令和まで書かれてました。時間のある方は画面のところでタッチして説明を見るのもおすすめです。
飯山城おすすめグルメ情報「城terrace」
飯山城址公園交流展示館「城terrace」では御城印や軽食をいただけます。私は信州名物のおやきをいただきました。野沢菜とナスのおやきを注文しました。
県外から行った方はぜひ!おやきおすすめです。個人的に「ナス」のおやき美味しかったです。
飯山城情報
築 城 | 1583年 |
城 主 | 泉氏、岩井氏、関氏、森氏、皆川氏、堀氏、佐久間氏、松平氏、永井氏、青山氏、本多氏 |
住 所 | 長野県飯山市飯山2752番地1 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1871年 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | 飯山城址公園交流展示館「城terrace」 9:00〜16:30 |
駐車場 | 無料 |
飯山城へのアクセス
飯山城レビュー
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