梶谷城(長崎県)

梶谷城の感想

ここも訪れたかった城です!松浦党の発祥の地!そして松浦党の祖となった『源 久(松浦 久)』が築いたとされるのが、この梶谷城だと云われています。
『???党??? 家とか一族とかじゃないの?』と思われる方も多いでしょうが、松浦党は古くは平安時代から戦国時代に組織された松浦氏の武士集団の連合軍で、その一族は48にも別れていたと云われています。そのことから『松浦四十八党』と呼ばれた水軍武士団です!

松浦党のきっかけとなったルーツは『嵯峨源氏(さがげんじ)』の流れを組む『渡辺 綱』が祖となり息子の『渡辺 久(源 久)』が京都から下向し、この松浦郡を所領としたことから地名をとって『松浦 久』と名乗ったのがスタートの様です。当時のこの地域は大小の武士集団が存在したようで、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にも出てくる『倭人』とは『海で暴れる荒くれ海賊集団=日本人』の意味があるのではないかと私は思っており、その大小の海賊集団を取りまとめたのが、松浦 久 であり、松浦党という組織を形成したのではないかと思います。

因みに、松浦党四十八党は下記の通りとなります。。。
伊万里氏・河原氏・久木島氏・城氏・久保田氏・山代氏・楠久氏・八並氏・船原氏・有田氏・廣瀬氏・牟田部氏・吉野氏・松田氏・ 杉浦氏・鷹嶌氏・大曲氏・福島氏・斑嶋氏・千秋氏・赤木野氏・松浦氏・吉田氏・小倉氏・庄山氏・早田氏・志佐氏・御厨氏・中尾氏・松倉氏・河原田氏・宮田氏・弓張氏・樋口氏・船木氏・坂本氏・畑嶋氏・小窪氏・ 松野氏・佐井氏・中村氏・田平氏・峯氏・武尾氏・田代氏・江迎氏・松尾氏・小佐々氏・豐田氏・武末氏・相神浦氏・相浦氏・早岐氏・赤羽氏・針尾氏・佐々氏・八木氏・紐差氏・ 志々岐氏・中津良氏・小佐々氏・津吉氏・公文氏・鮎川氏・一部氏・大島氏・宇久氏・馬場氏・玉浦氏・小値賀氏・青方氏・白魚氏・有河氏・曽禰氏・奈摩氏

戦国時代に入ると松浦党の結束は弱体化しており、また、佐賀の龍造寺隆信の勢力下にどんどん吸収されていきます。松浦氏も『上松浦氏』と『下松浦氏』に別れ下松浦氏(平戸氏)は平戸松浦氏となり平戸藩の祖となりました。。。

梶谷城画像ギャラリー

梶谷城は、松浦市今福の集落から北東方向にある城山(じょうやま)と呼ばれる標高197mの小高い山頂部に築かれた山城です! 本丸跡からは玄界灘から伊万里湾まで一望できる場所にあります。 水軍を支配していたのでこの立地何でしょうねぇ~
梶谷城には無料の駐車場がありそこに案内板があります。そこには松浦党の家系も記載しており名門だったこともよくわかります。

当時の門跡ですかね???

城内に入ります。梶谷城自体は非常にシンプルで、小高い山頂に『二の丸(副郭)』と『本丸(本郭)』の2つが築かれている感じだと思います。

二の丸(副郭)には石垣の跡が残っています

ここは二の丸(副郭)になるのかな???

草が生い茂っているなぁ~笑 けど、地元の粋を感じています♪ 石垣が築かれています!

本丸(本郭)の方に進んでいきます!

本丸到着で~す~♪\(゜ロ\)(/ロ゜)/

多分ですが。。。『本丸(本郭)』って書いてあるような気がします!山頂を楕円形に削り本丸を築いていた感じがしますね! そんなに大きくはありませんが、当時はここに屋敷を構えていたのかもしれません♪玄界灘から伊万里湾まで一望できますねぇ~♪

本丸(本郭)から一段下がった北側に二の丸(副郭)を築き南側に天守台(物見台)を設けています。
この天守台(物見台)から松浦党(水軍)などの管理を行い、特に『蒙古軍との戦い』の際には最前線の城としてあったんだと思います!

梶谷城【動画】

天守台からの動画をどうぞ!!!! 松浦党の発祥の地! スタートの城にようやくたどり着けました(⌒∇⌒)

是非!!!!皆さんも『梶谷城』に来ていただき『松浦党』の根源をご体験ください!(^▽^)/

梶谷城情報

築 城不明
城 主松浦氏
住 所長崎県松浦市今福町東免
種 別山城
廃 城1615年
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

梶谷城へアクセス

梶谷城レビュー

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