掛川城/懸川城/懸河城/雲霧城/松尾城の感想
掛川城は東海道に隣接する江国東部の中心拠点として、朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)が築城したと云われています。これまた!この朝比奈 泰煕が厄介な方で、今川氏の重臣だった福島正成を讒言し、今川義忠の嫡男の今川氏親と仲違いさせ、福島正成を討ったとされています。。。(因みに、福島正成の子供が逃げ切って北条氏綱を頼り養子となり、北条姓と『綱』の字をもらい北条綱成とされています!)
当初の掛川城は逆川の北部辺りに築かれていましたが、後に入城した山内一豊が現在の地に移し掛川城を築いたとされています。掛川城は交通の要所だったんでしょうねぇ~!?!?度々、争奪戦の舞台となっていた様です。
この掛川城は、築城した朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)の居城となり、その後、子孫の朝比奈泰能(あさひなやすよし)→朝比奈泰朝(あさひなやすとも)など代々朝比奈氏の居城としていましたが、桶狭間の戦いで今川氏が討たれると、再び掛川城は草刈り場となり、徳川氏・武田氏・北条氏の激戦区となってしまいます。
今川義元が桶狭間で討たれると駿府城の今川氏真(嫡男)も徳川氏と武田氏の挟み撃ちに合い、駿府城を棄てて掛川城に逃げ込みます!!!徳川氏の攻撃に掛川城もよく耐えましたが、朝比奈泰朝はよく城を守ったためなかなか落城しませんでしたが、兵力の差がめちゃくちゃあったため朝比奈泰朝は和議で今川氏真の身の無事を家康に認めさ開城を決断したらしいです。
因みに・・・現在の掛川城は山内一豊の時に移したらしく、朝比奈泰煕が築いた掛川城は現在の場所から歩いて5分ぐらい離れた場所にあり『掛川古城』として整備されているらしいので、今度行ったら是非寄ってみたいと思います。
掛川城画像ギャラリー
大手門・大手門番所
クルマを近くの有料駐車場に止めて、信号を渡っていくと掛川城から南東ににある城内最大の門で楼門造りの櫓門の『大手門・大手門番所』があります( ̄▽ ̄)







内堀かな???橋も掛かっていますね!


城内案内と松尾池跡です( `ー´)ノ



四足門
四足門(よつあし門)です!
その名の通り、門柱の前後に控柱を2本ずつ左右合わせて4本立てた門の事を呼ぶそうです(=゚ω゚)ノ




更に城内へヾ(≧▽≦)ノ~いくぞぉぉぉぉっぉ♪





主殿手前位には『十露盤堀』『三日月堀』『松尾池』に囲まれていますね!


石垣もりっぱ!!!(。◕ˇдˇ◕。)/







天守下門跡
登って行くと!『天守下門跡』が出てきました!!!(≧◇≦)



朝早く行ったので、まだ開城されておらず・・・ここまで・・・(´;ω;`)ウゥゥ
けど、天守近くで見る掛川市内の風景もなかなかでしたよ~(∩´∀`)∩ 朝で気持ちがいい!





本丸跡
天守から降っていくと、本丸跡がありました・・・何度か改築されているはずなので、元々の本丸はここだったのかな???






腰石垣と玉石側溝
『腰石垣と玉石側溝』があります。ぐるりと囲っていたのかもしれませんね!(‘◇’)ゞ




太鼓櫓
『太鼓櫓』を発見!!!!( `ー´)ノ


東海道新幹線の車内からも見える掛川城! この地域のシンボルですね!!!
どちらかと云えば江戸時代に整備された城なのかもしれませんが、交通の要だったので幾度となく掛川城は戦場の舞台として有名になりました(`・ω・´)ゞ









次回は城内に入りたい!!!(≧◇≦) 掛川古城を狙いに来て再び掛川城に再城攻めします♪
掛川城/懸川城/懸河城/雲霧城/松尾城情報
| 築 城 | 文明年間(1469年〜1487年) |
| 城 主 | 朝比奈氏、石川氏、山内氏、太田氏 |
| 住 所 | 静岡県掛川市掛川1138-24 |
| 種 別 | 平山城 |
| 廃 城 | 1871年 |
| 特 徴 | 国重要文化財、市指定文化財、日本100名城※日本100名城スタンプは掛川城御殿にて押せます。 |
| 入場料 | 無料 天守閣・御殿:大人410円、小中150円 |
| 営業時間 | 天守閣・御殿:9:00~17:00(入館は16:30まで) |
| 駐車場 | 有り(有料) |
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