烟田城の感想
勝手に『南方三十三館シリーズ』第2弾!!!『烟田(かまた)城』です(^▽^)/
佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方両郡の常陸大掾(だいじょう)氏系の一族を中心とする勢力だった様で、その滅ぼされた南方三十三館の城攻めをしたいと思い!勝手に『南方三十三館シリーズ』で城攻めしてみたいと思います(o^―^o)
(この文章は『南方三十三舘シリーズ』で転記していきますのであしからず!)
烟田城を居城とした烟田氏は烟田地域(今は鉾田市(ほこたし)周辺かな?)を支配した一族で、集落の小高い丘の上に烟田城を築いていたと思われます。烟田氏はこの地で約360年の間、鹿島郡北部の雄として君臨していました。第十八代当主の烟田通幹の時に、上記記載通り佐竹氏によって太田(現常陸太田市)で烟田兄妹は誘殺され、その後、烟田城は佐竹氏の軍勢に攻められて落城し烟田氏は滅んだとされています。
烟田氏もまた『常陸平氏大掾氏の一族』とされており、小幡城の小幡氏同様に『大掾氏の一族』だったんですねぇ~♪ 小幡城の記事はこちら
烟田城画像ギャラリー
烟田城は、茨城鹿島線の道路から脇道に入り、西光院・梅天神が並ぶ氷川神社隣に住宅地に埋もれる形で烟田城跡が残っています
わずかな土塁を残しているだけで、いつかは無くなっちゃう城跡なんだろうな・・・
烟田城情報
築 城 | 1230年頃? |
城 主 | 烟田氏 |
住 所 | 茨城県鉾田市烟田1406−2 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1591年 |
特 徴 | – |
入場料 | – |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
烟田城へのアクセス
烟田城レビュー
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