川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓の感想
長篠・設楽原の古戦場から向かいの小高い丘の途中、常林寺の裏手に一般の墓地があり、その一般の方の墓地の手前に左手にそれた小脇の道を進んでいくと、川窪詮秋・土屋直規・望月重氏の墓があります。
『川窪詮秋』はよくわかりません!(´;ω;`)ウゥゥ
川窪氏は河窪氏とも云うらしく、甲斐河窪村を領し『河窪の城山』として知られる丘に城郭を構えていた一族が川窪(河窪)氏とされており、川窪詮秋と同一人物かどうかわかりませんが、河窪信実(かわくぼ のぶざね)という武将が設楽原の合戦前の長篠城の戦いにおいて討死しているみたいです。
『土屋直規』はたぶん『土屋貞綱』ではないかと思われます!(”◇”)ゞ
土屋貞綱は元々、今川氏に仕えていた駿河の岡部氏の一族だった様で水軍を率いていた一族の様ですね。武田軍の駿河侵攻と今川氏真の国外逃亡によって武田信玄に降り、甲斐国での名家であった土屋氏を受け継いだ様です。土屋昌続(昌次)と共にここ長篠・設楽原古戦場で討死したようですね。
『望月重氏』・・・期待したのですが結局わかりません!(´;ω;`)ウッ…
望月重氏が誰だかわかりませんが、望月義勝って武将って話もあるようですが望月義勝って武将もよくわかりません・・・ただ、望月氏は信濃の名族で滋野・海野などの名家の元となる一族でもあり、武田信玄の弟の信繁の三男信永(この人が義勝かもしれませんが・・・)が望月家を継いだとされています。長篠・設楽原の合戦では惨敗後、落ち武者狩りに合い御園峠で自害しこれを祀った祠が残っている様です。(望月峠) 今度、探してみようと思います。
川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓画像ギャラリー
常林寺です!向かって左側に案内がありました
道沿いに行くと一般の方々の墓地があります。最初は携帯のナビがこの辺を示していたため、何度もぐるぐるぐるぐる回っていました・・・もう一度、向かい直したら左手にそれる小道を発見♪
あ・・・・・・あったぁ・・・・・・・
川窪備後守詮秋之墓です!
土屋備前守直規之墓です!
望月甚八郎重氏之墓です!
三人の武将のお墓の前(常林寺の前)には、長篠・設楽原の古戦場が広がっています!
川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓情報
年 代 | 1575年 |
住 所 | 愛知県新城市八束穂 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓へのアクセス
川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓レビュー
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