城井ノ上城 / 城井谷城 / 萱切城 / 城井郷城(福岡県)

城井ノ上城 / 城井谷城 / 萱切城 / 城井郷城(福岡県)

城井ノ上城 / 城井谷城 / 萱切城 / 城井郷城の感想

この城もめちゃくちゃ城攻めしたかった山城です!『城井ノ上城』です(」’ω’)」オォオォオ!!!ウウゥゥアアォオ!!!!!!

これが意外とめちゃくちゃ難しくて・・・(混乱)
当初は私は『城井谷城(きいだにじょう)』だと思い辿り着いてみたら、『城井ノ上城(きいのこじょう)』だったり、何かしらの違いはあるのかもしれませんが、よくわからないのでいっしょくたんにして『城井ノ上城(きいのこじょう)』とさせて頂きます!!!(^▽^)/

城井ノ上城は、源頼朝に従って源平合戦で活躍した、宇都宮信房が1185年~1192年頃なのかな??? 豊前守護に任じられ、ここ城井郷に居を定めこの城井ノ上城を築城し豊前宇都宮氏の居城となったと云われています。その後、宇都宮氏は土着し城井氏と名乗ったようですね。。。(o^―^o)ニコ
城井ノ上城は『城井の隠れ城』とも呼ばれており、平時は山城ではなく『城井氏館』と云われる城井川中流の松丸と呼ばれる場所にあったのではないかと云われているようです。

私がこの城井氏と城井ノ上城に注目するようになったのは、大河ドラマの『軍師官兵衛』のドラマで、1587年に豊臣秀吉が九州討伐で九州を平定すると、豊前国中津に新たに大名として入封してきた黒田官兵衛・長政親子に反発(敵対)するようになります。
豊臣軍が来る前の城井氏は一時は築城郡(ついきぐん)を中心に、宇佐・筑城・下毛・仲津・田川などを治め、幕府評定衆や九州四奉行に任じられ、九州の武士を統括したこともあったようですが、七代目の城井冬綱(南北朝時代)の頃から城井氏は急激に衰えていく事となり、大内氏や大友氏に従うようになっていた様です。。。まぁ~続いているんで名門っちゃ~超名門なんでしょうけどねぇ~
城井氏十六代目当主の城井鎮房(きいしげふさ)時代には、大友氏から離れ島津氏の傘下に入っていいた様で、この城井郡を約400年守り続けていた誇り高い一族だったと思われますね。
豊臣秀吉が九州へ侵攻すると、城井鎮房は島津氏から離れ降伏し豊臣秀吉に従うこととなったが、自身は病気と称して出陣せず、嫡男朝房にわずかな手勢をもたせて参陣させただけなので、秀吉の不信を招き、秀吉は城井氏を伊予国へ移封と家宝の引き渡しを命じるが城井鎮房はそれを拒否!!!父祖伝来の地に固執しし家宝を守りたい城井鎮房はそれに反発し朱印状の受け取りを拒否したため、秀吉の怒りを大いに買うこととなります!Σ(・□・;)
そんなゴタゴタしているときに黒田氏が入国してくるのですが、一旦は城井ノ上城を引き渡すのですが、1587年10月に再び城井氏一族郎党約300人を率いた城井鎮房が急襲し城井ノ上城を奪回し籠城戦を始めます。
城井鎮房の決起が豊前の国人衆が一斉に蜂起し、豊前国人一揆と呼ばれる内乱に発展してしまいます。事態を重くみた豊臣秀吉は、毛利輝元に加勢を命じ、翌11月に黒田・毛利連合軍で城井ノ上城に軍勢を向けますが、城井谷の各所に伏兵を配してゲリラ戦を展開した城井鎮房に、黒田勢を率いた黒田長政コテンパンにやられてしまいます!(黒田長政も一時は危なかったとか?)
天険の要塞である城井ノ上城の攻略に失敗した黒田官兵衛は付け城を築いて兵站を断つ持久戦をとり、他の国人勢力を攻め下していくなど、城井鎮房を孤立させジワリジワリと追い込んでいくと、黒田官兵衛は本領安堵と鎮房の13歳になる城井鎮房の娘の鶴姫を人質とする事を条件に降伏を進め、城井鎮房は降伏を受け入れることとなります。 しかし、これらは黒田親子の謀略で1588年に城井鎮房は黒田長政の招きにより中津城へ向かった際に、合元寺に城井家臣団は留め置かれ、わずかな共の者と城に入った城井鎮房は酒宴の席で謀殺されてしまいました!一部、城井鎮房の嫡男、城井朝房の妻の竜子は当時懐妊していたが逃げ延びて男子出産し城井氏の血脈はかろうじて保たれますが、城井氏はこれで戦国の歴史上から滅んでしまったようです。

城井ノ上城にチャレンジしましたが、本当に天然!自然!が凄く!!!これまた違った意味での『岩の城』でした!!!!めちゃくちゃよかったです(*`艸´)ウシシシ  しかし!!!!!!!!!
山道がよくわからなくなり、携帯の電波も入らずひとりだったので身の危険を感じたため、悔しいながら城攻めをあきらめて撤退しました(´;ω;`)ウゥゥ  必ずリベンジ(今度はいるかも兄弟を連れて)したい城です!!!! ( ̄`Д´ ̄)9 絶対にリベンジしてやる!!!!

城井ノ上城 / 城井谷城画像ギャラリー

『城井ノ上城(きいのこじょう)』は県道32号線が牧の原橋で、城井川を渡るところに『宇都宮一族之碑』がありここが目印となります!

林道へ入るとまもなく『三丁弓ノ岩』と呼ばれるどでかい岩壁が現れます。この岩は、人が削ったのか???(切通の一種かな???)沢との間に道1つ分だけ口が開いており、岩で出来た天然の城門であり、最前線の要害です!!!『弓兵を3人配置するだけで防衛に事足りていた』ことからその名が付いたみたいですね~(⌒∇⌒)

三丁弓ノ岩

進んでいくと、わりと新げな水子地蔵があり、その脇が登城口だと思われますので、ここから城井ノ上城攻めを始めます~♪(〃艸〃)ムフッ

沢に沿って這うように城攻めを行いますが、足元には石!石!岩!岩!のオンパレードです
エエッ!!( 3д3)

城井ノ上城の表門に到着です!!!!
はっきり言って・・・・・めちゃくちゃすげぇ~ェエェ!!エェエェエ!!!ェエ(゚Д゚ノ)ノエェエ!!!ェエェエライコッチャ!!!!!
この『城井ノ上城表門』を動画で楽しんでみて下さい♪

城井ノ上城表門【動画】

城井ノ上城の表門に果敢に攻める!!!!!!

こんな急斜面の大きな岩の門が表門になっており、これを突破するにはなかなか難攻不落ではないかと激しく!劇場的に感じますね! ( ̄+ー ̄)ニヤリ

城井ノ上城表門の先【動画】

この大きな岩の表門を突破しても・・・やはり巨大な岩!岩!で囲まれてしまっています~♪

進んでいきます!

炭焼窯跡

城井ノ上城の城内???(山城内???)には、昭和30年代まで現役だったという炭焼窯の跡が沢山ありました!?∠( ゜д゜)/ 「!?!?」

そして再び・・・巨大な岩が・・・これも大きな岩を活かした門か砦だったんじゃないかと思います。

岩の門その2

ここでまた!岩の門が出現しました!!!!ハンパねぇぇぇぇ~┐(´д`)┌

岩の門!!!!!!!!!!!!!!すげぇ!!!!!!!!!!

ここが城井ノ上城!?なのか!?なんだか中途半端だぞ!?

さらに奥に進んでみよう!!!!

何だろう・・・・城内の神社・・・・・????

順路の案内があるので、更に城井ノ上城の奥へ突き進んでいきたいと思います!!!!(`・ω・´)ゞ

炭焼窯その2

こんなに城井ノ上城の奥にまで・・・苦笑

この辺から、半分遭難状態に陥っています~((((;゚Д゚))))ガクガクガク

この虎ロープが私の場所が内側なのか外側なのか全然わからなくなったため!あえなく城井ノ上城攻めを中断し断念しちゃいました~( ノД`)シクシク…   近々、必ずリベンジします!!!!

城井ノ上城情報

築 城1195年
城 主宇都宮氏、城井氏
住 所福岡県築上郡築上町寒田2005-3
種 別山城
廃 城1588年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

城井ノ上城へのアクセス

城井ノ上城レビュー

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