清洲城の感想
清洲城は斯波氏が築城したお城ですが、織田信長のお城、もしくは清洲会議で本能寺の変後に誰を後継にするのか決める会議の舞台として有名ですね。そんな清洲城ですが、今回は出張の仕事終わりで日が沈むまでに間に合わず日没後に到着となったのですが、この時期はプロジェクションマッピングのイベントをやっているらしく動画をとらせていただきました。城好きとしては日中も見たいので出張最終日に日中にもう一度清洲城へ行ってきました。
清洲城は斯波義重が1405年に築城したお城で、斯波義重は室町幕府の補佐役、管領の職についており非常に高い地位にいた方になります。その後は1555年に織田信長の居城となり、小牧山城に信長が移るまで重要な役割を担っていました。その後、本能寺の変で信長が亡くなり清洲城で跡目を決める清洲会議が開かれた場所となります。清洲会議ではわずか3歳の三法師(織田秀信)、信長の長男である信忠の子が跡目に決定します。清洲城はその後、信長の次男、織田信雄のお城となり、豊臣秀次、福島正則と城主を変えて江戸時代に徳川家の城となります。その後は名古屋城に城下町ともども中心地が移されて1610年に廃城となりました。
きよすイルミ2022(動画)
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夕暮れギリギリに到着してしまい、公園の木がライトアップされてもう撮影は難しい状況。
残念と思いながらも古城公園含めて回ってみました。
お城の入り口まで来たらお城がいろんな色にライトアップ!され始めました。
午後5時までなのでお城には入れずです。
どうしても昼間の写真が撮りたくて後日再訪問してきました。よく見る清洲城の写真が撮れました!
右側の写真は信長塀と言われる塀で、桶狭間の戦勝記念として熱田神宮より寄贈されたものらしいです。※これは復元です。
清洲城の石垣の説明とその石垣が再現されています。枕木のような木の上に野面積みで石が築かれていたようです。
信長公のお社、井戸跡なとが古城公園にあります。
信長公と濃姫の銅像があり恋愛のパワースポットにもなっているようですね。遺構らしきものはあまり残ってないです。
清洲城情報
築 城 | 1405年 |
城 主 | 斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、松平氏、徳川氏 |
住 所 | 愛知県清須市朝日城屋敷1番地1 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 1610年 |
特 徴 | – |
入場料 | 大人:300円 大人団体:250円 小人:150円 子供団体:100円 小人は小中学生。団体は30名以上。幼児は無料。 |
営業時間 | 9:00〜16:30まで 休館日:月曜日※休日の場合は直後の平日 12月29日から31日 ただし、桜の花見期間・清洲城信長まつり期間は開館 |
清洲城へのアクセス
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