益子古城の感想
益子古城は益子氏のお城で、高館城(たかだてじょう)、西明寺城(さいみょうじじょう)とも呼ばれています。実際には高館城(西明寺城)と呼ばれている高館山の山頂にあるお城は詰城で平時はこの益子古城で生活していたものと思われております。
益子城は南北朝時代には南朝方のお城として北朝方の攻撃を退け続けましたが1352年に関東六城の中で最後に落城したとのことです。ちなみに南北朝時代の関東六城とは関城、大宝城、真壁城、伊佐城、中郡城、西明寺城(益子古城)を指します。
益子氏は宇都宮氏の家臣として鎌倉時代から活躍してきましたが、戦国時代になると宇都宮氏と対立するようになり、1590年に宇都宮国綱によって益子家宗が討ち取られ益子城も廃城になりました。
現在の益子古城跡は益子焼の紹介をする「陶芸メッセ」となっており益子焼などの観光をメインとした施設になってしまっておりますが、一部、遺構などを保存してくれており当時の雰囲気を感じることができる城跡になっております。
益子古城画像ギャラリー
益子古城の説明版が建てられていました。





曲輪や土塁、空堀などの遺構が残っていて当時の雰囲気が感じられます。

今は益子陶芸美術館など陶芸メッセとして綺麗な建物が立つ場所になっております。
焼き物好きはぜひ訪問して見てください。














門跡から駐車場へ戻る途中に空堀を反対側から見ることができてなかなか大きな空堀があったお城なんだと実感しました。

益子古城情報
築 城 | 不明(鎌倉時代) |
城 主 | 益子氏 |
住 所 | 栃木県芳賀郡益子町城内坂71 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1590年 |
特 徴 | 町指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
益子古城へのアクセス
益子古城レビュー
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