源実朝公御首塚(神奈川県)

源実朝公御首塚(神奈川県)

源実朝公御首塚の感想

三代目の鎌倉殿(鎌倉幕府第三代目征夷大将軍)である源実朝がこの秦野市に『首塚』がありました。実朝は兄の頼家が追放されると12歳で鎌倉殿となり執権の北条氏に支えられ成長していきます。源実朝は朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿(くぎょう)に補任され、その後、武士として初めて右大臣に任じられ京との繋がりも強くなります。
1219年、鶴岡八幡宮で右大臣昇進の拝賀の式後、追放された兄の頼家の子(次男)公暁(こうきょう) により暗殺されてしまいます。公暁は源実朝の首を片時も離さずに持っていましたが、三浦義村の邸宅に赴く途中、三浦義村の指示で長尾貞景・武常晴ら5名を追手として差し向け、公暁を殺害してしまいます。この三浦義村の指示に違和感を感じていた武常晴は源実朝の首を取り戻し、三浦氏の領国から離れた波多野氏の領国に駆け込み波多野忠綱に源実朝の供養を頼んだと云われています。当時、波多野氏と三浦氏は関係が良いとは言えず敵対していたところから、源実朝暗殺は三浦義村の謀略で憤りを感じた武常晴が首を持ち去りこの丹沢の麓の波多野氏の領国内に首塚を築かせたと云われています。

源実朝公御首塚画像ギャラリー

源実朝公御首塚情報

年 代1219年
住 所神奈川県秦野市東田原1018-2
種 別史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

源実朝公御首塚へのアクセス

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源実朝公御首塚
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