清水冠者源義高終焉の地の感想
国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。
源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!
木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高を鎌倉へ人質として送ります。
源義高は源頼朝の長女 大姫を娶り、その翌年には木曽(源)義仲は京へ入京を果たします( `ー´)ノ
しかし、木曽(源)義仲は連年の飢饉で荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情を悪化させてしまい、また、皇位継承への介入などにより後白河天皇(ごしらかわてんのう)と対立し後鳥羽天皇(ごとばてんのう)を幽閉し、自ら征東大将軍となるが、それに怒った源頼朝は源範頼と源義経の軍を送り込み木曽(源)義仲を討ち滅ぼしてしまいます!!!(+_+)
父親の木曽(源)義仲を殺され立場が悪くなった鎌倉の源義高は、源頼朝が義高を誅殺しようとしていることを知った大姫にいつも双六の相手をしていた幸氏が義高に成り代わり、義高は女房姿に扮して大姫の侍女達に囲まれ屋敷を抜けだし大姫が手配した馬に乗って密かに鎌倉を脱出させます。しかし、夜になって事が露見し激怒した源頼朝は幸氏を捕らえ殺害し、信濃国(たぶん)を目指して逃げていた源義高はここ武蔵国狭山市入間川で捕らえられて殺害された様です。
清水冠者源義高終焉の地画像ギャラリー
狭山市入間川の近く国道16号線沿いに『清水冠者源義高終焉の地』はあります。
脇道に入ると若干ではありますがクルマを止めれるスペースがありました!







清水冠者源義高終焉の地情報
| 年 代 | 1184年没 |
| 住 所 | 埼玉県狭山市入間川3丁目35−10 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
清水冠者源義高終焉の地へのアクセス
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