源頼朝の墓の感想
源頼朝の墓は、鎌倉市の白旗神社の高台にあります。
源頼朝は皆さん知っての通り初代『鎌倉殿』で貴族の世の中から武家の世の中に最初に導いた人です。
源平の合戦や義経の追討など一番最初に知った武家社会の政治家のようなイメージがありますね。そんな源頼朝の最後(死に方)は、1198年の12月27日に相模川の橋供養からの帰路中の稲村ガ崎で落馬し、その落馬が原因で翌年の1199年1月13日に亡くなったと云われていますが、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には、実は源頼朝の死は明確に描かれていなくて、本当の死亡の理由は明確になっていません。実は自分は跡を継いだ長男(頼家)・次男(実朝)の死に方や源頼朝の『落馬』による死亡理由から、まともに亡くなったのでは無いんじゃないかと思っています。
*あくまでも個人的な推測です!正しくはありません!
源頼朝の死後、頼朝(長男)の邸宅であった大倉御所の北側にある『法華堂』に源頼朝は葬られました。その後、『法華堂』は明治時代の廃仏毀釈によりなくなってしまいましたが、跡地には源頼朝を祀る『白旗神社』が再建されたようです。そして境内に頼朝の墓と伝わる石塔が残っています。
また、同じ境内には鎌倉幕府の執権を握っていた北条義時の墓もある様ですが当日は行けませんでした・・・
源頼朝の墓画像ギャラリー
石畳の住宅街を抜けていくと『源頼朝の墓』の案内が出てきます♪



なるほど!源頼朝の墓だけではなく、『大江広元の墓』『島津忠久の墓』の近くにあるんですね~!
大江広元さんは自分が尊敬する毛利元就さんの祖先であり!島津忠久さんはあの薩摩(鹿児島)の島津氏の祖となる武将です!この鎌倉で島津忠久さんの名前を知ることに、自分的には凄く違和感と感動をあじわいました(。◕ˇдˇ◕。)/ 最高です♪ 島津忠久さんを調べたい!!!!(‘◇’)ゞ




『法華堂』の案内に到着、入って左手のは『白旗神社』の案内もありました!








階段を登っていくと・・・・・・


源頼朝の墓です( `ー´)ノ







源頼朝の墓の横に『元祖島津豊後守忠久石塔道』が建てられていました。
源頼朝と島津忠久の関係はとても深かったんだと思われます!凄く興味がわきますね~(`・ω・´)ゞ


たぶん・・・この奥に『北条義時の墓』があるんだと思いますが、トラロープがしてあったので今回は行きませんでした!?

源頼朝の墓情報
年 代 | 1199年没(お墓は1779年) |
住 所 | 神奈川県鎌倉市西御門2丁目5 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
源頼朝の墓へのアクセス
源頼朝の墓レビュー
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