三浦(道寸)義同の墓(神奈川県)

三浦(道寸)義同の墓(神奈川県)

三浦(道寸)義同の墓の感想

三浦道寸(どうすん)こと三浦義同(よしあつ)のお墓が新井城にあります。

三浦道寸は同寸とも呼ばれることがあり、元々は扇谷上杉氏の子で三浦時高の養子として三浦氏に入りました。しかし、三浦時高に子が出来たため祖父であった大森氏頼を頼りの大森領内の足柄にある総世寺に出家し、三浦義同→道寸(同寸)と名乗ったようです。
三浦氏が一族内で分断し混乱していた時に、大森氏頼の力を借りて三浦時高と子の時教を攻め滅ぼし、自らが三浦氏の党首として返り咲きます。息子の三浦義意(荒次郎)に家督を譲り新井城を治めさせ、自らは岡崎城を居城とし三浦氏の勢力拡大を図ります。

新興勢力の後北条氏が西相模に侵攻し、北条早雲に小田原城を攻め落とされ、恩義のある大森氏頼が殺されると、三浦氏も扇谷上杉氏の力を借りながら北条氏に徹底抗戦を展開していきます。
上杉朝良・三浦道寸連合と北条早雲との激しい戦いが続き三浦義意たちも奮戦しますが、徐々に北条早雲に攻め込まれ始め、岡崎城も落城し最後は新井城に三浦道寸・義意親子は籠城戦を行います。
3年にも及ぶ籠城戦もむなしく新井城は落城し三浦道寸・義意親子は城と共に討死したと云われています。

北条早雲にとっては最後のライバル!最後の大戦!となった三浦道寸との戦いだったと思います。

三浦(道寸)義同の墓画像ギャラリー

三浦道寸のお墓は新井城の奥側の入口から海岸線沿いに進んでいくとあります。

今もきれいに整備されており、地元の方々から愛されているのがわかりますね。

三浦(道寸)義同の墓情報

没 年1516年
住 所神奈川県三浦市三崎町1095−30
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し(油壺温泉の駐車場に停められます。500円)

三浦(道寸)義同の墓へのアクセス

三浦(道寸)義同の墓レビュー

三浦(道寸)義同の墓についての皆さんの評価をお願いします。
三浦(道寸)義同の墓おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。

お墓・廟カテゴリの最新記事