中城の感想
中城は小川盆地にある先端部に約100m四方に巡らした平山城で、鎌倉時代に増尾郷の豪族で郷内にある猿尾荘を領していた猿尾種直(ましお たねなお)の居館だったと云われていた様です。。。(o^―^o)ニコ
南北朝時代初期では斎藤重範(さいとう しげのり)が同地の地頭となって支配したと伝えられています。。。一方、中城は太田道灌ゆかりの城でもあるそうです。 太田道灌が関東管領山内上杉顕定の側近の高瀬民部少輔に宛てて書いたとされる書状『太田道灌状』と呼ばれるものに、『中城』のことを指していると思われる記述がある様です。(^▽^) 『太田道灌状』には当時の戦の戦況や主君に対する不満など(苦笑)さまざまな貴重な事項が記載されている様です!!!その中に、道灌が扇谷上杉氏家臣の上田上野介が在郷していた小河(現小川町)に一泊したと書かれています。それは1474年のことと考えられていて、この頃、長尾景春が主人山内上杉顕定に対して謀反を企てていました。そのような不穏な状況の中、『小河」で一泊した様です。相手の出方を窺っていたんじゃないかと思います( `ー´)ノ
周辺には猿尾(ましお)氏ゆかりの寺社と古墳が残ることからも、古くからの豪族であったことがわかりますね~(^▽^)/ 室町時代初期には武蔵松山城の松山衆の頭目である上田氏の居城と考えられるようになった。たしかに比企郡の有力者である上田氏の居城に相応しい規模じゃないかなぁぁぁ~っておもいます~♪
現在は住宅地に囲まれ、皆さんの憩いの場でもありご高齢の方々が軽いウォーキングと観光ついでに楽しんでいるような感じの中城でした!((´∀`*))ヶラヶラ
中城画像ギャラリー
住宅地の少し窪んだ場所に『中城』はあり駐車場もあります!( `ー´)ノ



クルマを停めると中城の横っ腹から城攻め出来ます♪(`・ω・´)ゞ

今は池みたいになっていますが、平山上でお堀に囲まれていたんでしょうね。。。ここは内堀になるのかなぁ!?!?!?






中城の本郭(本丸)に向かって進んでみます! 土塁に囲まれ空堀もいい感じですねぇ~♪













がっちりとした空堀と土塁!向こうが本郭(本丸)になるのかな!?(〃艸〃)ムフッ


土塁と空堀がはっきりわかり、なかなかのスケールですよ!!!
繰り返し言いますが・・・これ住宅地のど真ん中です!!!笑((´∀`))ケラケラ





階段を登り土塁をお越えると『仙覚律師遺跡』がありましたぁぁぁ~(⌒∇⌒)




『半僧坊大権現堂』もあり、この辺が本丸一体何ですかねぇ~(。◕ˇдˇ◕。)/













中城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 猿尾(ましお)氏、斎藤氏、上田氏 |
住 所 | 埼玉県比企郡小川町大字大塚字中城 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 町指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し(町立図書館駐車場利用可) |
中城へのアクセス
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