野々美谷城の感想
野々美谷城(ののみたにじょう)と読みます。野々美谷城も志和池城同様に取り合いで目まぐるしく城主が変わったお城になります。都城周辺の戦国時代の凄まじい取り合いを志和池城と同じくらい良く表しているお城の一つと言えると思います。
確実にこの野々美谷城(城としてあったか)だったのかは定かではないですが、野々美谷周辺を最初に領有していたのは島津氏ですが、1300年代中頃に相良氏に攻められて野々美谷を奪われます。野々美谷城としては相良氏が築城したとも言われているみたいですね。その後、1394年に北郷氏が野々美谷城を落城させて北郷氏のお城となります。ただ安泰というわけにもいかず、戦国時代に入り今度は伊東氏が攻めてきて落城し伊藤氏の城となりますが、1599年の庄内の乱では伊集院氏が奪ったりしながら最終的に再度北郷氏が奪い返して北郷氏のお城となりますが、戦国時代も終わり一国一城令と共に野々美谷城は廃城になったとのことです。
そんな激戦の取り合いとなった野々美谷城ですが、江戸時代の記録では12の曲輪(くるわ)とあるそうですが、現在は破壊されてしまっており5つの曲輪(くるわ)が残っているだけになっているとのことです。残念ですね。
野々美谷城画像ギャラリー
鳥居がありまっすぐに階段が続いてます。



案内板
説明を読むと龍頭城(本丸)などは現在は残っていないと書かれてますね。江戸時代までは12の曲輪があったみたいですが、現在は5つの曲輪が残っているとのことですが、それも一部のみとなってしまっているところが多いみたいです。😢

諏訪城
おそらく階段を登ってきたところにあるこの曲輪は半分が無くなってしまったと記載のある諏訪城になるのかと思います。本丸じゃないみたですね。。





野々美谷城情報
| 築 城 | 不明(室町時代?) |
| 城 主 | 島津氏、相良氏、北郷氏(樺山氏)、伊東氏、伊集院氏 |
| 住 所 | 宮崎県都城市野々美谷町820 |
| 種 別 | 平山城 |
| 廃 城 | 1615年 |
| 特 徴 | 市指定史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
野々美谷城へのアクセス
野々美谷城レビュー
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