小幡城(茨城県)

小幡城の感想

出会いは偶然でした・・・佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方両郡の常陸大掾(だいじょう)氏系の一族を中心とする勢力だった様で、その滅ぼされた南方三十三館の城攻めをしたいと思い!勝手に『南方三十三館シリーズ』で城攻めしてみたいと思います(^▽^)/
因みに・・・南方三十三館といいますが、実際には三十三館も無かったみたいですね!((´∀`*))ヶラヶラ『賤ケ岳の七本槍』的な感じで、その時のゴロに合わせた呼び名らしいです。

そんな偶然の中・・・一番最初に城攻めしたのが・・・ここ・・・『小幡城』です!!!!!!!

正直、関東屈指の名城って言ってもいいぐらいの城でした(〃艸〃)ムフッ
訪問後、聞いてみたら関東の城好きには知る人ぞ知る名城の中の名城らしく有名でした。我が知識不足・勉強不足が悔やまれたぐらいです。。。ごめんなさい!

築城はよくわかっていないみたいですが、大掾詮幹(だいじょうのりもと)の三男義幹(よしもと)が築いたって云われているみたい義幹の子孫が後々『小幡氏』を名乗るようになったみたいです。
小幡城主が最後誰になったかわかりませんが、小幡又兵衛(???)って武将の時に佐竹義重・義宣親子に滅ぼされてしまいます。

小幡城画像ギャラリー

小幡城は被害関東自動車道沿い、寛政川沿いにあるお城です。山城?平山城?になるのかな???

ふむふむ・・・・なるほど・・・いろいろ案内板には書かれていますね・・・勉強になります!!!

むむむ!何だろう???深い!深すぎる空堀???土塁???の中に入り込んでいます!

進んでいくと、本丸と櫓跡の案内が出てきましたね♪

少し相棒に立ってもらいました!!!この空堀っていうか土塁っていうか、この高低差って少しは感じてもらえるでしょうか???結構あり!まさに『土の壁』って感じです!驚きの連続です!

なるほど!!!!!!!!!俺たちが迷い込んでいるのは『堀底道』と云われる場所なんですね!初めて知りました『堀底道』!!!『この大規模(高低差のある)』堀底道は通路として使われていたみたいですね。けどそれは、敵が攻め込んできた時もこの高い土の壁が鉄壁の防御になるってことですよね!本当に新発見で驚きでした(⌒∇⌒)

本丸かな????発見!!!!(^▽^)/

虎口の様に少しだけうねってますねぇ~♪

お!?櫓跡と・・・『変形武者走り』????????????なのこれ??????????

深い(高い)空堀の上に登ってきました!

なるほど!この『堀底道』は敵をここにおびき寄せて、空堀の上から『変形武者走り』とされる場所から。鉄砲や矢、礫などで敵を攻撃しつつ、堀底道を進めば進むほど城外に追い出される仕組みになっているんですね~!? マジですごい!初めて知りました!

お!!!!土橋発見♪(o^―^o)ニコ

この土橋を越えたら、いよいよ本丸ですなぁ~!

あ!あった!本丸じゃん!!!!

小幡城の案内板です♪

小幡城は三方を湿地に囲まれ舌状台地に築かれた城のようで、特徴的なのが郭を囲む『底堀道』は圧巻としか言いようがありませんでした!?
七つの郭(七の郭・・・家臣団に住まわせていたみたいですね)からなる『底堀道』は非常に深い空堀や土塁から形成されており、一度入り込むとどこに向かっているのか全くわからなくなる迷路です!この迷路に迷い込んだら、城内に侵入しても不思議と城外に追い出される仕組みになっているみたいで、空堀や土塁の上には『武者走り』が作られてて、敵を城外に追い出しながら上からは激しい攻撃ができるカタチになっていますね。

井戸もあり!鉄壁じゃん!!!よくこれで佐竹親子に攻め落とされちゃいましたね・・・やっぱ、本当に戦は壮絶なんですかね~!?

久々に名城に出会えました!!!本当にうれしいです♪
関東を・・・茨城を・・・なめていた自分に大反省致します。。。もっとこんな素晴らしい城跡に出会えるように頑張ります!!!!!!!!

小幡城情報

築 城不明(1420年頃)
城 主大掾氏、小幡氏
住 所茨城県東茨城郡茨城町小幡
種 別平山城
廃 城不明
特 徴市指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

小幡城へのアクセス

小幡城レビュー

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