大谷吉継供養塔(福井県)

大谷吉継供養塔(福井県)

大谷吉継供養塔の感想

敦賀駅から気比神宮方面に向かい、クルマだと約6分、徒歩だと20分ぐらいの神宮を過ぎた先にある『永賞寺』があります。その永賞寺そのに敦賀城主であった大谷吉継の『大谷吉継供養塔養塔』があります。大谷吉継は『大谷刑部』と呼ばれており、石田三成に味方して関ヶ原の戦いで戦死(自害)してしまいます。後に1609年に大谷吉継を供養するために層塔が造立されたと云われているみたいですね!(o^―^o)ニコ
永賞寺は1591年に敦賀城主だった大谷吉継が東郷中区から現在の場所に移し、武田栄文禅師を招いて再興した折に曹洞宗に改宗し寺号を天台宗永昌寺→永賞寺に改め、大谷吉継自らの菩提寺としたようですね!!!(●^o^●)

大谷吉継供養塔画像ギャラリー

大谷吉継供養塔は本堂の前にあり、福井県の石塔によく見られる凝灰岩の笏谷石製で作られているようです。(=゚ω゚)ノ

大谷吉継供養塔情報

年 代1600年没
住 所福井県敦賀市栄新町11−20
種 別市指定文化財
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

大谷吉継供養塔へのアクセス

大谷吉継供養塔レビュー

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