小山城 / 祇園城の感想
『小山城』は小山市城山町の思川沿いにある城で、別名は『祇園城(ぎおんじょう)』と呼んでおり、地元の方々は主に『祇園城』と呼んでいるようです。『小山城跡』は『小山氏城跡』と呼ばれる『鷲城』・『祇園城』・『中久喜城跡』をひとつにまとめ『祇園城』とされ国の史跡とされているみたいですねぇ。。。(ややこしぃ~苦笑) 『祇園城』にするのが一番なのかもしれませんが、『関ケ原の戦い』の前哨戦となる1600年7月に開かれた軍議『小山評定(おやまひょうじょう)』があった場所が、小山城近くの現在の市役所辺りで行われたとされており、あらためて『小山城』とここでは記したいと思います(o^―^o)
小山城の築城は小山政光とされており、小山政光は藤原秀郷(ふじわらひでさと)の後裔と云われる太田氏の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗ったことから始まるとされています。小山政光(小山氏)は下野国を中心に広大な所領を有し下野最大の武士団を率いていたとされ、小山政光の三男朝光の母(寒河尼)は源頼朝の乳母であったことから、源頼朝の勢力下の中拡大していったんじゃないかと思われます。
1576年頃、小山城主であった小山秀綱が後北条氏の北条氏照に攻められ開城し、北条氏照が小山城に入城し小山城を大幅に改修され北関東攻略の拠点とされたと云われています。(古河公方がいた古河城まで約18kmの距離) その後、1582年になると武田氏を滅ぼし関東に侵攻した織田信長の家臣、滝川一益の仲介で北条氏照から小山氏に小山城を返却されたようです。 関ケ原後、1602年に徳川氏側の本多正純が入国するが、1619年に本多正純が宇都宮へ移封することになり宇都宮城へ移ったため、小山城は廃城となってしまったようですね。。。
現在は城山公園として整備され桜の名所になっているみたいです(^▽^)/~🌸
小山城 / 祇園城画像ギャラリー
小山城は高い土塁と深い空堀!および泥田堀(どろたほり)によって三重に囲まれていたみたいで、東西約790m、南北約1,336mという広大な平山城だった様です。現在は住宅地になっており本丸付近が城山公園として名残を残しているだけです。。。




曲輪などは広場として活用されています。




このあたりは『塚田曲輪』と云われていたみたいですね・・・立て看板がありました・・・笑


この辺は『上段曲輪』みたいです!わかりづらい・・・笑





大きな空堀の跡ですね。。。





御殿があったところですかね (⌒∇⌒)





大きな広場から北側・思川側に『本丸』『中曲輪』『本祇園曲輪』があります。
元々はこの辺が本丸で小山城を拡張した時に今の広場に御殿を築いたのかなぁ~!?こちらの方が空堀や土塁が古い感じがします。。。




中曲輪跡ですな!




本丸に突撃しましょうかぁ~♪ 昔は橋でも架かっていたのかぁ~♪




土塁がちょこちょこ確認できますね~









本祇園曲輪ダス!?!?!?







小山城 / 祇園城情報
築 城 | 1148年 |
城 主 | 小山氏、北条氏、本田氏 |
住 所 | 栃木県小山市城山町1丁目1 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 1619年 |
特 徴 | 国指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
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