鷲津砦(愛知県)

鷲津砦(愛知県)

鷲津(わしづ)砦は丸根(まるね)砦と同様、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間で今川軍の連絡網を断つために築かれた砦です!!!
鷲津砦は西方へ舌状に延びた丘陵の頂部付近に位置し、大高城跡からは北東に約700mの場所に丸根砦跡からは北北西に約600mの距離あるため、大高城を抑えるため、また、鳴海城との連携を遮断するために築かれた砦で間違いないですね!(はっきり言えば丸根砦と鷲津砦は死地に等しいため、相当の勇将か猛将しか任せられないでしょうね。。。(ー_ー)!!)

鷲津砦には織田秀敏(織田一門)と飯尾定宗・飯尾尚清親子520騎が籠っていましたが、1560年6月の早暁、今川方の重臣であった朝比奈泰朝(あさひな やすとも)率いる2,000人の軍勢が攻撃を開始し、門扉や営柵に火が放たれ激戦となり、立てこもっていた将兵はことごとく討死し、残兵も清洲方面へ敗走してしまい午前10時頃までには陥落してしまいました。

【鷲津城】

JR東海道本線、大高駅から約200メートル!!!駐車禁止の坂道を登って行き、住宅地に寄り添うように『鷲津砦公園』はあります(。◕ˇдˇ​◕。)/

鷲津砦は明忠院の裏山ですが、住宅地から行けば砦のてっぺんから攻めることが出来ます( `ー´)ノ

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