中久喜城 / 亀城 / 栃井城 / 中岫城 / 岩壺城(栃木県)

中久喜城 / 亀城 / 栃井城 / 中岫城 / 岩壺城(栃木県)

中久喜城 / 亀城 / 栃井城 / 中岫城 / 岩壺城の感想

中久喜城は現在の栃木県と茨城県の県境、当時でいえば下野国寒川郡に築かれた城で、『小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)』のひとつであり重要な城であったと思われます。
小山氏はもともと藤原秀郷(ふじわらひでさと)の後裔と称した太田氏の流れを組む一族らしく、小山政光が下野国小山に移住し小山氏姓を名乗ったことから始まるらしく、中久喜城も小山政光が築城したと云われています。
小山氏にとっては、下総国(しもうさのくに)結城方面の備えとして重要な城で、高氏や宇都宮氏、関東管領上杉氏の激しい戦いとなります。そんな中『小山氏の乱』が勃発!!!(小山義政の乱とも云い、鎌倉公方足利氏満に対して起こした反乱)実に17年もの間反乱が続き、小山氏は蒲倉幕府軍に対し徐々に衰退し最終的には嫡流が滅ぼされてしまいます。小山家は家が亡くならないように同族の結城氏から養子を迎え何とか小山家を存続させます。
1590年に小山高朝の子で結城政勝の養子に入っていた結城晴朝は、豊臣秀吉による小田原征伐後、徳川家康の次男で秀吉の養子となっていた秀康が、晴朝の養子入ることとなり結城秀康として結城家の家督を継ぐこととなったため、結城晴朝の隠居城として中久喜城に入城したと云われています♪

中久喜城は江川と西仁連川に挟まれ南側に延びた舌状台地に築かれています。
現在、JR水戸線により中久喜城は東西に分断されており、住宅地のある北側に城址碑が建てられ構造物は確認できますが、南側の大きな曲輪(たぶんですが本丸と二ノ丸じゃないかと思います)は線路の向こうで確認できませんでした( `ー´)ノ

中久喜城画像ギャラリー

住宅地の外れに『中久喜城の案内板』があります。。。写真が・・・斜めってる・・・(´;ω;`)ウゥゥ

真っすぐ進むと『物見場』に到着します。

右手には西城なのかな???

『物見場』に到着!

あの向こうに本丸があるのかなぁ????

【動画】JR水戸線

あ!!! JR水戸線の電車が横切っていきました(^◇^)

中久喜城情報

築 城1155年
城 主小山氏、結城氏
住 所栃木県小山市中久喜43−9
種 別平城
廃 城1601年
特 徴国指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

中久喜城へのアクセス

中久喜城レビュー

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