柳生城 / 小柳生城 / 古柳生城(奈良県)

柳生城 / 小柳生城 / 古柳生城(奈良県)

柳生と聞いて皆さんは何を思い出しますか???
徳川家(特に秀忠に付いた)柳生宗矩や柳生十兵衛とかですかね???

柳生城は南北朝時代に大和柳生荘の豪族柳生氏が山上に城を築いたのが始まりとされています。柳生氏は春日大社領小柳生荘の荘官が土着したものといわれ、1333年に鎌倉幕府が倒れると、後醍醐天皇から改めて小柳生の地を与えられ柳生氏を称したのが始まりとされています。
戦国時代は大和国も争乱が続き1554年に柳生城の城主だった柳生家厳は筒井順昭に攻められ筒井氏に降伏し従軍することとなりますが、松永久秀が織田信長の支援を得て大和国に攻め込むと筒井氏から松永久秀へ寝返り行動を共にし大和国に攻め込み、筒井順慶を大和国から追い出してしまいます。
柳生家厳が戦国武将だったイメージが無いかもしれませんが(自分がそうでした!苦笑)戦国時代を生き抜いたしっかりとした戦国武将だったんですねぇ~しかも松永久秀と共にするなんて・・・これまた驚きですね~\(◎o◎)/!松永久秀が何度も裏切りを繰り返し織田信長に攻め滅ぼされると筒井氏も織田信長の傘下に納まります。何とか生き抜いた柳生家厳は家督を宗厳に譲り隠遁したと云われています。
この後を継いだ柳生宗厳から柳生家=剣豪の流れが始まり、柳生宗厳自身も自らを『石舟斎』と名乗り『石の船は動かん石の船は沈まん』とし戦国の舞台には登場せず、自らの剣を磨き上泉信綱(上泉城https://jh.irukamo.com/kamiizumijo/)から新陰流を伝授されたとされ『柳生新陰流』の流祖に位置づけられ、その後に続くあの有名な柳生宗矩や柳生十兵衛に続くようですね!

柳生城は芳徳寺の境内とその南(南東)の山上一帯が城域とみられ、芳徳寺のある場所が居館部(柳生館)と考えられ、柳生城から約1.5km先に柳生古城があるらしい(今回は行けていません)
標高321m・比高76mの山頂部に柳生城の本丸があります。柳生城は古い典型的な山城だと感じました壁の様な切岸がしっかりとした山城でした。

【柳生城 / 小柳生城 / 古柳生城】

柳生城に入口には市?町?が運営されているしっかりとした駐車場があり駐車スペースがあります。
管理していたおっちゃんは・・・めちゃめちゃ適当で城攻めする前にイロイロ教えてくれたのですが・・・時間が遅かったせいかすべて閉まっていました~失笑 これも地元アルアルですねぇ~
無料の駐車場もたくさんありましたよ!(●´ω`●)

駐車場の脇から登って行けます!

正木坂剣禅道場かなぁ????

ここで自動音声での説明が聞けるって説明を受けていましたが・・・閉まっていました(´;ω;`)ウゥゥ  よって進みます・・・・・

柳生城内の芳徳寺に着きました!!!『石舟斎(柳生宗厳)塁城址』の石碑です( `ー´)ノ

もぉ、ここに辿り着いたときはクタクタで・・・写真が斜めってばっかりです!( ノД`)シクシク…

しっかりとした土塁が築かれ内堀もありますね♪

そしてこの奥は・・・『柳生家墓所』となるため・・・次に続きます(`・ω・´)ゞ

 

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